御書本文
る是即ち本因本果の法門なり、実の一念三千も顕れず二乗作仏も定らず云云、世間の罪に依つて悪道に堕ん者は爪上の土・仏法に依つて悪道に堕ちん者は十方の土の如し、故は信心の根本は本勝迹劣余の信心は枝葉なり。
余行に渡る法華経の本迹 一代八万の諸法は本因妙の下種を受けて説く所の教なるが故に一部八巻乃至一代五時・次第梯隥は名字の妙法を下種して熟脱せし本迹なり。
在世観心法華経の本迹 一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり云云。
脱益の妙法の教主の本迹 所説の正法は本門なり能説の教主釈尊は迹門なり、法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し。
脱益の今此三界の教主本迹 天上天下唯我独尊は迹身門・密表寿量品の今此三界は即本身門なり。
脱益像法時剋弘経の本迹 天台の本迹は倶に日蓮が迹門なり時剋亦天地の不同之在り。
脱益迹門修行の本迹 正法一千年の修行の徳より像法一日の徳は勝れたるなるべし。
脱益迹門自解仏乗修行の本迹 熟益は迹・脱益は本なり之に就いて之を思惟す可し。
脱の五大尊の本迹 他受用応仏は本・普賢・文殊・弥勒・薬王は迹なり。
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
---|---|---|---|
百六箇抄 | 59 | 日興 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
百六箇抄 856ページ
る是即ち本因本果の法門なり、実の一念三千も顕れず二乗作仏も定らず云云、世間の罪に依つて悪道に堕ん者は爪上の土・仏法に依つて悪道に堕ちん者は十方の土の如し、故は信心の根本は本勝迹劣余の信心は枝葉なり。
余行に渡る法華経の本迹 一代八万の諸法は本因妙の下種を受けて説く所の教なるが故に一部八巻乃至一代五時・次第梯隥は名字の妙法を下種して熟脱せし本迹なり。
在世観心法華経の本迹 一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり云云。
脱益の妙法の教主の本迹 所説の正法は本門なり能説の教主釈尊は迹門なり、法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し。
脱益の今此三界の教主本迹 天上天下唯我独尊は迹身門・密表寿量品の今此三界は即本身門なり。
脱益像法時剋弘経の本迹 天台の本迹は倶に日蓮が迹門なり時剋亦天地の不同之在り。
脱益迹門修行の本迹 正法一千年の修行の徳より像法一日の徳は勝れたるなるべし。
脱益迹門自解仏乗修行の本迹 熟益は迹・脱益は本なり之に就いて之を思惟す可し。
脱の五大尊の本迹 他受用応仏は本・普賢・文殊・弥勒・薬王は迹なり。
- 自由語検索