御書本文

本因妙抄
871ページ

「雖脱在現・具騰本種」云云次に体の四重とは一に三諦隔歴の体・爾前権教なり、二に理性円融の体・迹門十四品なり、三に三千本有の体・本門十四品なり、四に自性不思議の体・我が内証の寿量品・事行の一念三千なり、次に宗の四重とは一に因果異性の宗・方便権教なり、二に因果同性の宗・是れ迹門なり、三に因果並常の宗・即ち本門なり、四に因果一念の宗・文に云く「介爾も心有れば即ち三千を具す」と、是れ即ち末法純円・結要付属の妙法なり云云、次に用の四重とは一に神通幻化の用・今経已前に明かす所の仏・菩薩・出仮利生の事、二に普賢色身の用・即ち一身の中に於て十界を具する事なり本迹一代五時に亘る、三に無作常住の用・証道八相有り無作自在の事なり、四に一心の化用・或説己身等なり、次に教の四重とは一には但顕隔理の教・権小なり、二には教即実理の教・迹門なり、三には自性会中の教・応仏の本門なり、四には一心法界の教・寿量品の文の底の法門・自受用報身如来の真実の本門・久遠一念の南無妙法蓮華経・雖脱在現具騰本種の勝劣是なり。
第四に八重浅深の一面なり、名の八重とは一に名体永別の名・二に名体不離の名・三に従体流出の名・四に名体具足の名・五に本分常住の名・六に果海妙性の名・七に無相不思議の名・八に自性己己の名・乃至教知る可し云云、文に任せて思惟す可きなり。
第五に還住当文の一面、四八の浅深を以て本迹勝劣を知る可し。
第六に但入己心の一面、始め大法東漸より第十の判教に至るまで文の生起を閣おき一向に心理の勝劣に入れて正意を成ず可し、謂く大法とは即ち行者の己心の異名なり云云、釈の意は文義の広博を離れて首題の理を専にすと釈し給うなり。
第七に出離生死の一面、心は一代応仏の寿量品を迹と為し内証の寿量品を本と為し釈尊久遠名字即の身と位とに約して南無妙法蓮華経と唱え奉る是を出離生死の一面と名く、本迹約身約位の釈之を思う可き者なり已上。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
本因妙抄 61   身延

日蓮大聖人御書

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「雖脱在現・具騰本種」云云次に体の四重とは一に三諦隔歴の体・爾前権教なり、二に理性円融の体・迹門十四品なり、三に三千本有の体・本門十四品なり、四に自性不思議の体・我が内証の寿量品・事行の一念三千なり、次に宗の四重とは一に因果異性の宗・方便権教なり、二に因果同性の宗・是れ迹門なり、三に因果並常の宗・即ち本門なり、四に因果一念の宗・文に云く「介爾も心有れば即ち三千を具す」と、是れ即ち末法純円・結要付属の妙法なり云云、次に用の四重とは一に神通幻化の用・今経已前に明かす所の仏・菩薩・出仮利生の事、二に普賢色身の用・即ち一身の中に於て十界を具する事なり本迹一代五時に亘る、三に無作常住の用・証道八相有り無作自在の事なり、四に一心の化用・或説己身等なり、次に教の四重とは一には但顕隔理の教・権小なり、二には教即実理の教・迹門なり、三には自性会中の教・応仏の本門なり、四には一心法界の教・寿量品の文の底の法門・自受用報身如来の真実の本門・久遠一念の南無妙法蓮華経・雖脱在現具騰本種の勝劣是なり。
第四に八重浅深の一面なり、名の八重とは一に名体永別の名・二に名体不離の名・三に従体流出の名・四に名体具足の名・五に本分常住の名・六に果海妙性の名・七に無相不思議の名・八に自性己己の名・乃至教知る可し云云、文に任せて思惟す可きなり。
第五に還住当文の一面、四八の浅深を以て本迹勝劣を知る可し。
第六に但入己心の一面、始め大法東漸より第十の判教に至るまで文の生起を閣おき一向に心理の勝劣に入れて正意を成ず可し、謂く大法とは即ち行者の己心の異名なり云云、釈の意は文義の広博を離れて首題の理を専にすと釈し給うなり。
第七に出離生死の一面、心は一代応仏の寿量品を迹と為し内証の寿量品を本と為し釈尊久遠名字即の身と位とに約して南無妙法蓮華経と唱え奉る是を出離生死の一面と名く、本迹約身約位の釈之を思う可き者なり已上。


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