御書本文
聖密房御書
聖密房御書 建治三年 五十六歳御作
大日経をば善無畏・不空・金剛智等の義に云く「大日経の理と法華経の理とは同じ事なり但印と真言とが法華経は劣なり」と立てたり、良諝和尚・広修・維蠲なんど申す人は大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず但方等部の経なるべし、日本の弘法大師云く「法華経は猶華厳経等に劣れりまして大日経には及ぶべからず」等云云、又云く「法華経は釈迦の説・大日経は大日如来の説・教主既にことなり・又釈迦如来は大日如来の御使として顕教をとき給うこれは密教の初門なるべし」或は云く「法華経の肝心たる寿量品の仏は顕教の中にしては仏なれども密教に対すれば具縛の凡夫なり」と云云。
日蓮勘えて云く大日経は新訳の経・唐の玄宗皇帝の御時・開元四年に天竺の善無畏三蔵もて来る、法華経は旧訳の経・後秦の御宇に羅什三蔵もて来る其の中間三百余年なり、法華経亘て後百余年を経て天台智者大師・教門には五時四教を立てて上五百余年の学者の教相をやぶり観門には一念三千の法門をさとりて始めて法華経の理を得たり、天台大師已前の三論宗・已後の法相宗には八界を立て十界を論ぜず一念三千の法門をば立つべきやうなし、華厳宗は天台已前には南北の諸師・華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども華厳宗の名は候はず、唐の代に高宗の后・則天皇后と申す人の御時・法蔵法師・澄観なんど申す人・華厳宗の名を立てたり、此の宗は教相に五教を立て観門には十玄・六相なんど申す法門なり、をびただしきやうに・みへたりしかども澄観は天台をはするやうにて・なを天台の一念三千の法門をかりとりて我が経の心如工画師の文の心とす、これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか、澄観は持戒の人・大小の戒を一塵をもやぶらざれ
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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聖密房御書 | 56 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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聖密房御書 896ページ
聖密房御書
聖密房御書 建治三年 五十六歳御作
大日経をば善無畏・不空・金剛智等の義に云く「大日経の理と法華経の理とは同じ事なり但印と真言とが法華経は劣なり」と立てたり、良諝和尚・広修・維蠲なんど申す人は大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず但方等部の経なるべし、日本の弘法大師云く「法華経は猶華厳経等に劣れりまして大日経には及ぶべからず」等云云、又云く「法華経は釈迦の説・大日経は大日如来の説・教主既にことなり・又釈迦如来は大日如来の御使として顕教をとき給うこれは密教の初門なるべし」或は云く「法華経の肝心たる寿量品の仏は顕教の中にしては仏なれども密教に対すれば具縛の凡夫なり」と云云。
日蓮勘えて云く大日経は新訳の経・唐の玄宗皇帝の御時・開元四年に天竺の善無畏三蔵もて来る、法華経は旧訳の経・後秦の御宇に羅什三蔵もて来る其の中間三百余年なり、法華経亘て後百余年を経て天台智者大師・教門には五時四教を立てて上五百余年の学者の教相をやぶり観門には一念三千の法門をさとりて始めて法華経の理を得たり、天台大師已前の三論宗・已後の法相宗には八界を立て十界を論ぜず一念三千の法門をば立つべきやうなし、華厳宗は天台已前には南北の諸師・華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども華厳宗の名は候はず、唐の代に高宗の后・則天皇后と申す人の御時・法蔵法師・澄観なんど申す人・華厳宗の名を立てたり、此の宗は教相に五教を立て観門には十玄・六相なんど申す法門なり、をびただしきやうに・みへたりしかども澄観は天台をはするやうにて・なを天台の一念三千の法門をかりとりて我が経の心如工画師の文の心とす、これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか、澄観は持戒の人・大小の戒を一塵をもやぶらざれ
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