御書本文

聖密房御書
899ページ

り、いかりをぼせば・さでをはしませ、外道の法門は一千年・八百年・五天にはびこりて輪王より万民かうべをかたぶけたりしかども九十五種共に仏にやぶられたりき、摂論師が邪義・百余年なりしもやぶれき、南北の三百余年の邪見もやぶれき、日本・二百六十余年の六宗の義もやぶれき、其の上此の事は伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり、日本国は大乗に五宗あり法相・三論・華厳・真言・天台、小乗に三宗あり倶舎・成実・律宗なり、真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども・くわしく論ずれば皆小乗なり、宗と申すは戒・定・慧の三学を備へたる物なり、其の中に定・慧はさてをきぬ、戒をもて大・小のばうじをうちわかつものなり、東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに東大寺に入りて小乗律宗の驢乳・臭糞の戒を持つ、戒を用つて論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし、比叡山には天台宗・真言宗の二宗・伝教大師習いつたへ給いたりしかども天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給いしゆへに天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして天台法華宗の止観・真言とあそばして公家へまいらせ給いき、伝教より慈覚たまはらせ給いし誓戒の文には天台法華宗の止観・真言と正くのせられて真言宗の名をけづられたり、天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候、真言宗の真言は当分の宗・論師・人師始めて宗の名をたてたり、而るを事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり、仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども但所詮の理は無常の一理なり、法相宗は唯心有境・大乗宗・無量の宗ありとも所詮は唯心有境とだにいはば但一宗なり・三論宗は唯心無境・無量の宗ありとも所詮・唯心無境ならば但一宗なり、此れは大乗の空有の一分か、華厳宗・真言宗あがらば但中・くだらば大乗の空有なるべし、経文の説相は猶華厳・般若にも及ばず但しよき人とをぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあいするににたり、大日経等は下女のごとし理は但中にすぎず、論師・人師は王のごとし・人のあいするによて・いばうがあるなるべし、上の問答等は当時は世すえになりて人の智浅く慢心高きゆへに用ゆ

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
聖密房御書 56   身延

日蓮大聖人御書

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聖密房御書 899ページ

り、いかりをぼせば・さでをはしませ、外道の法門は一千年・八百年・五天にはびこりて輪王より万民かうべをかたぶけたりしかども九十五種共に仏にやぶられたりき、摂論師が邪義・百余年なりしもやぶれき、南北の三百余年の邪見もやぶれき、日本・二百六十余年の六宗の義もやぶれき、其の上此の事は伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり、日本国は大乗に五宗あり法相・三論・華厳・真言・天台、小乗に三宗あり倶舎・成実・律宗なり、真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども・くわしく論ずれば皆小乗なり、宗と申すは戒・定・慧の三学を備へたる物なり、其の中に定・慧はさてをきぬ、戒をもて大・小のばうじをうちわかつものなり、東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに東大寺に入りて小乗律宗の驢乳・臭糞の戒を持つ、戒を用つて論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし、比叡山には天台宗・真言宗の二宗・伝教大師習いつたへ給いたりしかども天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給いしゆへに天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして天台法華宗の止観・真言とあそばして公家へまいらせ給いき、伝教より慈覚たまはらせ給いし誓戒の文には天台法華宗の止観・真言と正くのせられて真言宗の名をけづられたり、天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候、真言宗の真言は当分の宗・論師・人師始めて宗の名をたてたり、而るを事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり、仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども但所詮の理は無常の一理なり、法相宗は唯心有境・大乗宗・無量の宗ありとも所詮は唯心有境とだにいはば但一宗なり・三論宗は唯心無境・無量の宗ありとも所詮・唯心無境ならば但一宗なり、此れは大乗の空有の一分か、華厳宗・真言宗あがらば但中・くだらば大乗の空有なるべし、経文の説相は猶華厳・般若にも及ばず但しよき人とをぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあいするににたり、大日経等は下女のごとし理は但中にすぎず、論師・人師は王のごとし・人のあいするによて・いばうがあるなるべし、上の問答等は当時は世すえになりて人の智浅く慢心高きゆへに用ゆ


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