御書本文

種種御振舞御書
923ページ

 本よりごせし事なれば三度・国をいさめんに・もちゐずば国をさるべしと、されば同五月十二日にかまくらを・いでて此の山に入る、同十月に大蒙古国よせて壱岐・対馬の二箇国を打ち取らるるのみならず、太宰府もやぶられて少弐入道・大友等ききにげににげ其の外の兵者ども其の事ともなく大体打たれぬ、又今度よせくるならば・いかにも此の国よはよはと見ゆるなり、仁王経には「聖人去る時は七難必ず起る」等云云、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に乃至他方の怨賊来りて国人喪乱に遇わん」等云云、仏説まことならば此の国に一定悪人のあるを国主たつとませ給いて善人をあだませ給うにや、大集経に云く「日月明を現ぜず四方皆亢旱す是くの如く不善業の悪王悪比丘我が正法を毀壊せん」云云、仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説く、其の王別えずして此の語を信聴せん是を破仏法破国の因縁と為す」等云云、法華経に云く「濁世の悪比丘」等云云、経文まことならば此の国に一定・悪比丘のあるなり、夫れ宝山には曲林をきる大海には死骸をとどめず、仏法の大海・一乗の宝山には五逆の瓦礫・四重の濁水をば入るれども誹謗の死骸と一闡提の曲林をば・をさめざるなり、されば仏法を習わん人・後世をねがはん人は法華誹謗をおそるべし。
 皆人をぼするやうは・いかでか弘法・慈覚等をそしる人を用うべきと、他人は・さてをきぬ安房の国の東西の人人は此の事を信ずべき事なり、眼前の現証ありいのもりの円頓房・清澄の西堯房・道義房・かたうみの実智房等はたうとかりし僧ぞかし、此等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし、これらはさてをきぬ、円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて十巻をそらにをぼへ、五十年が間一日一夜に二部づつよまれしぞかし、かれをば皆人は仏になるべしと云云、日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申したりしが此の人人の御臨終はよく候いけるか・いかに、日蓮なくば此の人人をば仏になりぬ

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
種種御振舞御書 55 光日房  

日蓮大聖人御書

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種種御振舞御書 923ページ

 本よりごせし事なれば三度・国をいさめんに・もちゐずば国をさるべしと、されば同五月十二日にかまくらを・いでて此の山に入る、同十月に大蒙古国よせて壱岐・対馬の二箇国を打ち取らるるのみならず、太宰府もやぶられて少弐入道・大友等ききにげににげ其の外の兵者ども其の事ともなく大体打たれぬ、又今度よせくるならば・いかにも此の国よはよはと見ゆるなり、仁王経には「聖人去る時は七難必ず起る」等云云、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に乃至他方の怨賊来りて国人喪乱に遇わん」等云云、仏説まことならば此の国に一定悪人のあるを国主たつとませ給いて善人をあだませ給うにや、大集経に云く「日月明を現ぜず四方皆亢旱す是くの如く不善業の悪王悪比丘我が正法を毀壊せん」云云、仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王・太子・王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説く、其の王別えずして此の語を信聴せん是を破仏法破国の因縁と為す」等云云、法華経に云く「濁世の悪比丘」等云云、経文まことならば此の国に一定・悪比丘のあるなり、夫れ宝山には曲林をきる大海には死骸をとどめず、仏法の大海・一乗の宝山には五逆の瓦礫・四重の濁水をば入るれども誹謗の死骸と一闡提の曲林をば・をさめざるなり、されば仏法を習わん人・後世をねがはん人は法華誹謗をおそるべし。
 皆人をぼするやうは・いかでか弘法・慈覚等をそしる人を用うべきと、他人は・さてをきぬ安房の国の東西の人人は此の事を信ずべき事なり、眼前の現証ありいのもりの円頓房・清澄の西堯房・道義房・かたうみの実智房等はたうとかりし僧ぞかし、此等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし、これらはさてをきぬ、円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて十巻をそらにをぼへ、五十年が間一日一夜に二部づつよまれしぞかし、かれをば皆人は仏になるべしと云云、日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申したりしが此の人人の御臨終はよく候いけるか・いかに、日蓮なくば此の人人をば仏になりぬ


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