御書本文

光日房御書
928ページ

馬烏のれい・日蔵上人の・山がらす・かしらもしろく・なりにけり、我がかへるべき・時やきぬらん・とながめし此れなりと申しもあへず、文永十一年二月十四日の御赦免状・同三月八日に佐度の国につきぬ・同十三日に国を立ちてまうらというつにをりて十四日は・かのつにとどまり、同じき十五日に越後の寺どまりのつに・つくべきが大風にはなたれ・さいわひにふつかぢをすぎてかしはざきにつきて、次の日はこうにつき・中十二日をへて三月二十六日に鎌倉へ入りぬ、同じき四月八日に平左衛門尉に見参す、本より・ごせし事なれば日本国のほろびんを助けんがために三度いさめんに御用いなくば山林に・まじわるべきよし存ぜしゆへに同五月十二日に鎌倉をいでぬ。
 但し本国にいたりて今一度・父母のはかをも・みんと・をもへども・にしきをきて故郷へは・かへれといふ事は内外のをきてなり、させる面目もなくして本国へ・いたりなば不孝の者にてや・あらんずらん、これほどのかたかりし事だにも・やぶれて・かまくらへかへり入る身なれば又にしきを・きるへんもや・あらんずらん、其の時父母のはかをもみよかしと・ふかくをもうゆへに・いまに生国へはいたらねども・さすがこひしくて吹く風・立つくもまでも東のかたと申せば庵をいでて身にふれ庭に立ちてみるなり、かかる事なれば故郷の人は設い心よせにおもはぬ物なれども我が国の人といへば・なつかしくて・はんべるところに・此の御ふみを給びて心もあらずして・いそぎいそぎひらきてみ候へば・をととしの六月の八日にいや四郎にをくれてと・かかれたり、御ふみも・ひらかざりつるまでは・うれしくて・ありつるが、今此のことばを・よみてこそ・なにしにかくいそぎひらきけん・うらしまが子のはこなれや・あけてくやしきものかな、我が国の事はうくつらく・あたりし人のすへまでも・をろかならずをもうに・ことさら此の人は形も常の人には・すぎてみへ・うちをもひたるけしきも・かたくなにも・なしと見えしかども、さすが法華経のみざなれば・しらぬ人人あまたありしかば言もかけずありしに、経はてさせ給いて皆人も立ちかへる、此の人も立ちかへりしが使を入れて申せしは安房の国の・あまつと申すところの者にて候が、をさなくよ

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
光日房御書 55    

日蓮大聖人御書

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光日房御書 928ページ

馬烏のれい・日蔵上人の・山がらす・かしらもしろく・なりにけり、我がかへるべき・時やきぬらん・とながめし此れなりと申しもあへず、文永十一年二月十四日の御赦免状・同三月八日に佐度の国につきぬ・同十三日に国を立ちてまうらというつにをりて十四日は・かのつにとどまり、同じき十五日に越後の寺どまりのつに・つくべきが大風にはなたれ・さいわひにふつかぢをすぎてかしはざきにつきて、次の日はこうにつき・中十二日をへて三月二十六日に鎌倉へ入りぬ、同じき四月八日に平左衛門尉に見参す、本より・ごせし事なれば日本国のほろびんを助けんがために三度いさめんに御用いなくば山林に・まじわるべきよし存ぜしゆへに同五月十二日に鎌倉をいでぬ。
 但し本国にいたりて今一度・父母のはかをも・みんと・をもへども・にしきをきて故郷へは・かへれといふ事は内外のをきてなり、させる面目もなくして本国へ・いたりなば不孝の者にてや・あらんずらん、これほどのかたかりし事だにも・やぶれて・かまくらへかへり入る身なれば又にしきを・きるへんもや・あらんずらん、其の時父母のはかをもみよかしと・ふかくをもうゆへに・いまに生国へはいたらねども・さすがこひしくて吹く風・立つくもまでも東のかたと申せば庵をいでて身にふれ庭に立ちてみるなり、かかる事なれば故郷の人は設い心よせにおもはぬ物なれども我が国の人といへば・なつかしくて・はんべるところに・此の御ふみを給びて心もあらずして・いそぎいそぎひらきてみ候へば・をととしの六月の八日にいや四郎にをくれてと・かかれたり、御ふみも・ひらかざりつるまでは・うれしくて・ありつるが、今此のことばを・よみてこそ・なにしにかくいそぎひらきけん・うらしまが子のはこなれや・あけてくやしきものかな、我が国の事はうくつらく・あたりし人のすへまでも・をろかならずをもうに・ことさら此の人は形も常の人には・すぎてみへ・うちをもひたるけしきも・かたくなにも・なしと見えしかども、さすが法華経のみざなれば・しらぬ人人あまたありしかば言もかけずありしに、経はてさせ給いて皆人も立ちかへる、此の人も立ちかへりしが使を入れて申せしは安房の国の・あまつと申すところの者にて候が、をさなくよ


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