御書本文
上提婆達多は阿闍世王の本師なり、外道の六万蔵仏法の八万蔵をそらにして世間出世のあきらかなる事日月と明鏡とに向うがごとし、今の世の天台宗の碩学の顕密二道を胸にうかべ一切経をそらんぜしがごとし、此れ等の人人・諸の大臣・阿闍世王を教訓せしかば仏に帰依し奉る事なかりし程に摩竭提に天変・度度かさなり地夭しきりなる上・大風・大旱ばつ・飢饉・疫癘ひまなき上他国よりせめられて・すでに・かうとみえしに悪瘡すら身に出ししかば国土一時にほろびぬとみえし程に俄に仏前にまいり懺悔して罪きえしなり。
これらは・さてをき候いぬ人のをやは悪人なれども子・善人なれば・をやの罪ゆるす事あり、又子悪人なれども親善人なれば子の罪ゆるさるる事あり、されば故弥四郎殿は設い悪人なりともうめる母・釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらはば争か彼人うかばざるべき、いかに・いわうや彼の人は法華経を信じたりしかば・をやをみちびく身とぞ・なられて候らん、法華経を信ずる人はかまへて・かまへて法華経のかたきををそれさせ給へ、念仏者と持斎と真言師と一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をばいかに法華経をよむとも法華経のかたきとしろしめすべし、かたきをしらねば・かたきにたぼらかされ候ぞ、あはれあはれ・けさんに入りてくわしく申し候はばや、又これよりそれへわたり候三位房・佐度公等にたびごとに・このふみを・よませてきこしめすべし、又この御文をば明慧房にあづけさせ給うべし、なにとなく我が智慧はたらぬ者が或はをこづき或は此文をさいかくとしてそしり候なり、或はよも此の御房は弘法大師にはまさらじ・よも慈覚大師にはこへじ・なんど人くらべをし候ぞかし、かく申す人をば・ものしらぬ者と・をぼすべし。
建治二年太歳丙子三月 日 日 蓮 花押
甲州南部波木井の郷山中
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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光日房御書 | 55 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
光日房御書 931ページ
上提婆達多は阿闍世王の本師なり、外道の六万蔵仏法の八万蔵をそらにして世間出世のあきらかなる事日月と明鏡とに向うがごとし、今の世の天台宗の碩学の顕密二道を胸にうかべ一切経をそらんぜしがごとし、此れ等の人人・諸の大臣・阿闍世王を教訓せしかば仏に帰依し奉る事なかりし程に摩竭提に天変・度度かさなり地夭しきりなる上・大風・大旱ばつ・飢饉・疫癘ひまなき上他国よりせめられて・すでに・かうとみえしに悪瘡すら身に出ししかば国土一時にほろびぬとみえし程に俄に仏前にまいり懺悔して罪きえしなり。
これらは・さてをき候いぬ人のをやは悪人なれども子・善人なれば・をやの罪ゆるす事あり、又子悪人なれども親善人なれば子の罪ゆるさるる事あり、されば故弥四郎殿は設い悪人なりともうめる母・釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらはば争か彼人うかばざるべき、いかに・いわうや彼の人は法華経を信じたりしかば・をやをみちびく身とぞ・なられて候らん、法華経を信ずる人はかまへて・かまへて法華経のかたきををそれさせ給へ、念仏者と持斎と真言師と一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をばいかに法華経をよむとも法華経のかたきとしろしめすべし、かたきをしらねば・かたきにたぼらかされ候ぞ、あはれあはれ・けさんに入りてくわしく申し候はばや、又これよりそれへわたり候三位房・佐度公等にたびごとに・このふみを・よませてきこしめすべし、又この御文をば明慧房にあづけさせ給うべし、なにとなく我が智慧はたらぬ者が或はをこづき或は此文をさいかくとしてそしり候なり、或はよも此の御房は弘法大師にはまさらじ・よも慈覚大師にはこへじ・なんど人くらべをし候ぞかし、かく申す人をば・ものしらぬ者と・をぼすべし。
建治二年太歳丙子三月 日 日 蓮 花押
甲州南部波木井の郷山中
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