御書本文

光日上人御返事
932ページ

光日上人御返事

 光日上人御返事 弘安四年八月 六十歳御作

 法華経二の巻に云く「其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云、阿鼻地獄と申すは天竺の言・唐土・日本には無間と申す無間はひまなしとかけり、一百三十六の地獄の中に一百三十五はひま候、十二時の中にあつけれども又すずしき事もありたへがたけれども又ゆるくなる時もあり、此の無間地獄と申すは十二時に一時かた時も大苦ならざる事はなし故に無間地獄と申す、此の地獄は此の我等が居て候大地の底・二万由旬をすぎて最下の処なり、此れ世間の法にもかろき物は上に重き物は下にあり、大地の上には水あり地よりも水かろし、水の上には火あり水よりも火かろし、火の上に風あり火よりも風かろし、風の上に空あり風よりも空かろし、人をも此の四大を以て造れり悪人は風と火と先ず去り地と水と留まる故に人死して後重きは地獄へ堕つる相なり、善人は地と水と先ず去り風火留る重き物は去りぬ軽き物は留まる故に軽し人天へ生まるる相なり、地獄の相重きが中の重きは無間地獄の相なり、彼の無間地獄は縦横二万由旬なり八方は八万由旬なり、彼の地獄に堕つる人人は一人の身大にして八万由旬なり多人も又此くの如し、身のやはらかなる事綿の如し火のこわき事は大風の焼亡の如し鉄の火の如し、詮を取つて申さば我が身より火の出ずる事十三あり、二の火あり足より出でて頂をとをる・又二の火あり頂より出でて足をとほる・又二の火あり背より入りて胸より出ず・又二の火あり胸より入りて背へ出ず・又二の火あり左の脇より入りて右の脇へ出ず・又二の火あり右の脇より入りて左の脇へ出ず・亦一の火あり首より下に向いて雲の山を巻くが如くして下る、此の地獄の罪人の身は枯れたる草を焼くが如し東西南北に走れども逃去所なし、他の苦は且らく之を置く大火の一苦なり此の大地獄の大苦を仏委しく説き給うならば我等衆生聞いて皆死す

前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
光日上人御返事 60    

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

光日上人御返事 932ページ

光日上人御返事

 光日上人御返事 弘安四年八月 六十歳御作

 法華経二の巻に云く「其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云、阿鼻地獄と申すは天竺の言・唐土・日本には無間と申す無間はひまなしとかけり、一百三十六の地獄の中に一百三十五はひま候、十二時の中にあつけれども又すずしき事もありたへがたけれども又ゆるくなる時もあり、此の無間地獄と申すは十二時に一時かた時も大苦ならざる事はなし故に無間地獄と申す、此の地獄は此の我等が居て候大地の底・二万由旬をすぎて最下の処なり、此れ世間の法にもかろき物は上に重き物は下にあり、大地の上には水あり地よりも水かろし、水の上には火あり水よりも火かろし、火の上に風あり火よりも風かろし、風の上に空あり風よりも空かろし、人をも此の四大を以て造れり悪人は風と火と先ず去り地と水と留まる故に人死して後重きは地獄へ堕つる相なり、善人は地と水と先ず去り風火留る重き物は去りぬ軽き物は留まる故に軽し人天へ生まるる相なり、地獄の相重きが中の重きは無間地獄の相なり、彼の無間地獄は縦横二万由旬なり八方は八万由旬なり、彼の地獄に堕つる人人は一人の身大にして八万由旬なり多人も又此くの如し、身のやはらかなる事綿の如し火のこわき事は大風の焼亡の如し鉄の火の如し、詮を取つて申さば我が身より火の出ずる事十三あり、二の火あり足より出でて頂をとをる・又二の火あり頂より出でて足をとほる・又二の火あり背より入りて胸より出ず・又二の火あり胸より入りて背へ出ず・又二の火あり左の脇より入りて右の脇へ出ず・又二の火あり右の脇より入りて左の脇へ出ず・亦一の火あり首より下に向いて雲の山を巻くが如くして下る、此の地獄の罪人の身は枯れたる草を焼くが如し東西南北に走れども逃去所なし、他の苦は且らく之を置く大火の一苦なり此の大地獄の大苦を仏委しく説き給うならば我等衆生聞いて皆死す


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション