御書本文

四恩抄
939ページ

を以て大聖の臂を焼き髄をくだき・頭をはねられたるに・なぞらへんと思ふ、是れ一つの悦びなり。
 第二に大なる歎きと申すは、法華経第四に云く「若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し、若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀呰せん其の罪甚だ重し」等と云云、此等の経文を見るに信心を起し身より汗を流し両眼より涙を流すこと雨の如し我一人此の国に生れて多くの人をして一生の業を造らしむることを歎く、彼の不軽菩薩を打擲せし人現身に改悔の心を起せしだにも猶罪消え難くして千劫阿鼻地獄に堕ちぬ、今我に怨を結べる輩は未だ一分も悔る心もおこさず、是体の人の受くる業報を大集経に説いて云く「若し人あつて千万億の仏の所にして仏身より血を出さん意に於て如何・此の人の罪をうる事寧ろ多しとせんや否や、大梵王言さく若し人只一仏の身より血を出さん無間の罪尚多し、無量にして算をおきても数をしらず阿鼻大地獄の中に堕ちん、何に況や万億の仏身より血を出さん者を見んをや、終によく広く彼の人の罪業・果報を説く事ある事なからん但し如来をば除き奉る、仏の言はく大梵王若し我が為に髪をそり袈裟をかけ片時も禁戒をうけず欠犯をうけん者をなやましのり・杖をもつて打ちなんどする事有らば罪をうる事・彼よりは多し」と。
 弘長二年壬戌正月十六日 日 蓮 花押
 工藤左近尉殿

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
四恩抄 41 工藤左近尉吉隆 伊東

日蓮大聖人御書

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四恩抄 939ページ

を以て大聖の臂を焼き髄をくだき・頭をはねられたるに・なぞらへんと思ふ、是れ一つの悦びなり。
 第二に大なる歎きと申すは、法華経第四に云く「若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し、若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀呰せん其の罪甚だ重し」等と云云、此等の経文を見るに信心を起し身より汗を流し両眼より涙を流すこと雨の如し我一人此の国に生れて多くの人をして一生の業を造らしむることを歎く、彼の不軽菩薩を打擲せし人現身に改悔の心を起せしだにも猶罪消え難くして千劫阿鼻地獄に堕ちぬ、今我に怨を結べる輩は未だ一分も悔る心もおこさず、是体の人の受くる業報を大集経に説いて云く「若し人あつて千万億の仏の所にして仏身より血を出さん意に於て如何・此の人の罪をうる事寧ろ多しとせんや否や、大梵王言さく若し人只一仏の身より血を出さん無間の罪尚多し、無量にして算をおきても数をしらず阿鼻大地獄の中に堕ちん、何に況や万億の仏身より血を出さん者を見んをや、終によく広く彼の人の罪業・果報を説く事ある事なからん但し如来をば除き奉る、仏の言はく大梵王若し我が為に髪をそり袈裟をかけ片時も禁戒をうけず欠犯をうけん者をなやましのり・杖をもつて打ちなんどする事有らば罪をうる事・彼よりは多し」と。
 弘長二年壬戌正月十六日 日 蓮 花押
 工藤左近尉殿


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