御書本文

四恩抄
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四恩抄

 四 恩 抄 弘長二年正月十六日 四十一歳御作
 与工藤左近尉吉隆 於伊豆伊東
 抑此の流罪の身になりて候につけて二つの大事あり、一には大なる悦びあり其の故は此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる、此の娑婆世界の内に百億の須弥山・百億の日月・百億の四州あり、其の中の中央の須弥山・日月・四州に仏は世に出でまします、此の日本国は其の仏の世に出でまします国よりは丑寅の角にあたりたる小島なり、此の娑婆世界より外の十方の国土は皆浄土にて候へば人の心もやはらかに賢聖をのり悪む事も候はず、此の国土は十方の浄土にすてはてられて候・十悪・五逆・誹謗賢聖・不孝父母・不敬沙門等の科の衆生が三悪道に堕ちて無量劫を経て還つて此の世界に生れて候が、先生の悪業の習気失せずしてややもすれば十悪・五逆を作り賢聖をのり・父母に孝せず沙門をも敬はず候なり、故に釈迦如来・世に出でましませしかば或は毒薬を食に雑て奉り或は刀杖・悪象・師子・悪牛・悪狗等の方便を以て害し奉らんとし・或は女人を犯すと云い・或は卑賤の者・或は殺生の者と云い、或は行き合い奉る時は面を覆うて眼に見奉らじとし、或は戸を閉じ窓を塞ぎ、或は国王大臣の諸人に向つては邪見の者なり高き人を罵者なんど申せしなり、大集経・涅槃経等に見えたり、させる失も仏には・おはしまさざりしかども只此の国のくせ・かたわとして悪業の衆生が生れ集りて候上、第六天の魔王が此の国の衆生を他の浄土へ出さじと・たばかりを成して・かく事にふれて・ひがめる事をなすなり、此のたばかりも詮ずる所は仏に法華経を説かせまいらせじ料と見えて候、其の故は魔王の習として三悪道の業を作る者をば悦び三善道の業を作る者をば・なげく、又三善道の業を作る者をば・いたうなげかず三乗とならんとする者をば・いたうなげく、又三乗となる者をば・いたうなげかず仏となる業をなす者をば強になげき事

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
四恩抄 41 工藤左近尉吉隆 伊東

日蓮大聖人御書

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四恩抄 935ページ

四恩抄

 四 恩 抄 弘長二年正月十六日 四十一歳御作
 与工藤左近尉吉隆 於伊豆伊東
 抑此の流罪の身になりて候につけて二つの大事あり、一には大なる悦びあり其の故は此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる、此の娑婆世界の内に百億の須弥山・百億の日月・百億の四州あり、其の中の中央の須弥山・日月・四州に仏は世に出でまします、此の日本国は其の仏の世に出でまします国よりは丑寅の角にあたりたる小島なり、此の娑婆世界より外の十方の国土は皆浄土にて候へば人の心もやはらかに賢聖をのり悪む事も候はず、此の国土は十方の浄土にすてはてられて候・十悪・五逆・誹謗賢聖・不孝父母・不敬沙門等の科の衆生が三悪道に堕ちて無量劫を経て還つて此の世界に生れて候が、先生の悪業の習気失せずしてややもすれば十悪・五逆を作り賢聖をのり・父母に孝せず沙門をも敬はず候なり、故に釈迦如来・世に出でましませしかば或は毒薬を食に雑て奉り或は刀杖・悪象・師子・悪牛・悪狗等の方便を以て害し奉らんとし・或は女人を犯すと云い・或は卑賤の者・或は殺生の者と云い、或は行き合い奉る時は面を覆うて眼に見奉らじとし、或は戸を閉じ窓を塞ぎ、或は国王大臣の諸人に向つては邪見の者なり高き人を罵者なんど申せしなり、大集経・涅槃経等に見えたり、させる失も仏には・おはしまさざりしかども只此の国のくせ・かたわとして悪業の衆生が生れ集りて候上、第六天の魔王が此の国の衆生を他の浄土へ出さじと・たばかりを成して・かく事にふれて・ひがめる事をなすなり、此のたばかりも詮ずる所は仏に法華経を説かせまいらせじ料と見えて候、其の故は魔王の習として三悪道の業を作る者をば悦び三善道の業を作る者をば・なげく、又三善道の業を作る者をば・いたうなげかず三乗とならんとする者をば・いたうなげく、又三乗となる者をば・いたうなげかず仏となる業をなす者をば強になげき事


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