御書本文

寺泊御書
952ページ

世間怨多くして信じ難し」、涅槃経の三十八に云く「爾の時に一切の外道の衆咸く是の言を作さく大王○今は唯・一の大悪人有り瞿曇沙門なり○一切の世間の悪人利養の為の故に其の所に往き集り而も眷属と為つて善を修すること能わず呪術力の故に迦葉及び舎利弗・目犍連等を調伏す」云云、此の涅槃経の文は一切の外道我が本師たる二天三仙の所説の経典を仏陀に毀られて出す所の悪言なり、法華経の文は仏を怨と為す経文には非ず、天台の意に云く「一切の声聞・縁覚並に近成を楽う菩薩」等云云、聞かんと欲せず信ぜんと欲せず其の機に当らざるは言を出して謗ること莫きも皆怨嫉の者と定め了んぬ、在世を以て滅後を推すに一切諸宗の学者等は皆外道の如し、彼等が云う一大悪人とは日蓮に当れり、一切の悪人之に集まるとは日蓮が弟子等是なり、彼の外道は先仏の説教流伝の後・之を謬つて後仏を怨と為せり、今諸宗の学者等も亦復是くの如し、所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う、今八宗・十宗等多門の故に諍論を至す、涅槃経の第十八に贖命重宝と申す法門あり、天台大師の料簡に云く命とは法華経なり重宝とは涅槃経に説く所の前三教なり、但し涅槃経に説く所の円教は如何、此の法華経に説く所の仏性常住を重ねて之を説いて帰本せしめ涅槃経の円常を以て法華経に摂す、涅槃経の得分は但・前三教に限る、天台の玄義の三に云く「涅槃は贖命の重宝なり重ねて掌を抵つのみ」文、籤の三に云く「今家の引意は大経の部を指して以て重宝と為す」等云云、天台大師の四念処と申す文に法華経の「雖示種種道」の文を引いて先ず四味を又重宝と定め了んぬ、若し爾らば法華経の先後の諸経は法華経の為の重宝なり、世間の学者の想に云く此れは天台一宗の義なり諸宗は之を用いず等云云、日蓮之を案じて云く八宗十宗等は皆仏滅後より之を起し論師人師之を立つ滅後の宗を以て現在の経を計る可からず天台の所判は一切経に叶うに依つて一宗に属して之を弃つ可からず、諸宗の学者等自師の誤りを執する故に或は事を機に寄せ或は前師に譲り或は賢王を語らい結句最後には悪心強盛にして闘諍を起し失無き者を之を損うて楽と為す、諸宗の中に真言宗殊に僻案を至す

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
寺泊御書 50 富木常忍 越後寺泊

日蓮大聖人御書

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寺泊御書 952ページ

世間怨多くして信じ難し」、涅槃経の三十八に云く「爾の時に一切の外道の衆咸く是の言を作さく大王○今は唯・一の大悪人有り瞿曇沙門なり○一切の世間の悪人利養の為の故に其の所に往き集り而も眷属と為つて善を修すること能わず呪術力の故に迦葉及び舎利弗・目犍連等を調伏す」云云、此の涅槃経の文は一切の外道我が本師たる二天三仙の所説の経典を仏陀に毀られて出す所の悪言なり、法華経の文は仏を怨と為す経文には非ず、天台の意に云く「一切の声聞・縁覚並に近成を楽う菩薩」等云云、聞かんと欲せず信ぜんと欲せず其の機に当らざるは言を出して謗ること莫きも皆怨嫉の者と定め了んぬ、在世を以て滅後を推すに一切諸宗の学者等は皆外道の如し、彼等が云う一大悪人とは日蓮に当れり、一切の悪人之に集まるとは日蓮が弟子等是なり、彼の外道は先仏の説教流伝の後・之を謬つて後仏を怨と為せり、今諸宗の学者等も亦復是くの如し、所詮仏教に依つて邪見を起す目の転ずる者大山転ずと欲う、今八宗・十宗等多門の故に諍論を至す、涅槃経の第十八に贖命重宝と申す法門あり、天台大師の料簡に云く命とは法華経なり重宝とは涅槃経に説く所の前三教なり、但し涅槃経に説く所の円教は如何、此の法華経に説く所の仏性常住を重ねて之を説いて帰本せしめ涅槃経の円常を以て法華経に摂す、涅槃経の得分は但・前三教に限る、天台の玄義の三に云く「涅槃は贖命の重宝なり重ねて掌を抵つのみ」文、籤の三に云く「今家の引意は大経の部を指して以て重宝と為す」等云云、天台大師の四念処と申す文に法華経の「雖示種種道」の文を引いて先ず四味を又重宝と定め了んぬ、若し爾らば法華経の先後の諸経は法華経の為の重宝なり、世間の学者の想に云く此れは天台一宗の義なり諸宗は之を用いず等云云、日蓮之を案じて云く八宗十宗等は皆仏滅後より之を起し論師人師之を立つ滅後の宗を以て現在の経を計る可からず天台の所判は一切経に叶うに依つて一宗に属して之を弃つ可からず、諸宗の学者等自師の誤りを執する故に或は事を機に寄せ或は前師に譲り或は賢王を語らい結句最後には悪心強盛にして闘諍を起し失無き者を之を損うて楽と為す、諸宗の中に真言宗殊に僻案を至す


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