御書本文

土木殿御返事 寺泊御書
951ページ

此れも罰あり必ず徳あるべし・なにしにか・なげかん。
 此の十二日酉の時・御勘気・武蔵守殿御あづかりにて十三日丑の時にかまくらをいでて佐土の国へながされ候が、たうじはほんまのえちと申すところにえちの六郎左衛門尉殿の代官・右馬太郎と申す者あづかりて候が、いま四五日はあるべげに候、御歎きはさる事に候へども・これには一定と本よりごして候へば・なげかず候、いままで頸の切れぬこそ本意なく候へ、法華経の御ゆへに過去に頸を・うしないたらば・かかる少身のみにて候べきか、又数数見擯出ととかれて度度失にあたりて重罪をけしてこそ仏にもなり候はんずれば我と苦行をいたす事は心ゆへなり。
 九月十四日 日 蓮花押
 土木殿御返事

寺泊御書

 寺 泊 御 書 文永八年十月 五十歳御作
 与富木常忍 於越後寺泊

 鵞目一結給び了んぬ、心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし。
 今月十月なり十日相州愛京郡依智の郷を起つて武蔵の国久目河の宿に付き十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ、此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲するに順風定まらず其の期を知らず、道の間の事心も及ぶこと莫く又筆にも及ばず但暗に推し度る可し、又本より存知の上なれば始めて歎く可きに非ざれば之を止む。
 法華経の第四に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」第五の巻に云く「一切

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
土木殿御返事 50   依智
寺泊御書 50 富木常忍 越後寺泊

日蓮大聖人御書

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土木殿御返事 寺泊御書 951ページ

此れも罰あり必ず徳あるべし・なにしにか・なげかん。
 此の十二日酉の時・御勘気・武蔵守殿御あづかりにて十三日丑の時にかまくらをいでて佐土の国へながされ候が、たうじはほんまのえちと申すところにえちの六郎左衛門尉殿の代官・右馬太郎と申す者あづかりて候が、いま四五日はあるべげに候、御歎きはさる事に候へども・これには一定と本よりごして候へば・なげかず候、いままで頸の切れぬこそ本意なく候へ、法華経の御ゆへに過去に頸を・うしないたらば・かかる少身のみにて候べきか、又数数見擯出ととかれて度度失にあたりて重罪をけしてこそ仏にもなり候はんずれば我と苦行をいたす事は心ゆへなり。
 九月十四日 日 蓮花押
 土木殿御返事

寺泊御書

 寺 泊 御 書 文永八年十月 五十歳御作
 与富木常忍 於越後寺泊

 鵞目一結給び了んぬ、心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし。
 今月十月なり十日相州愛京郡依智の郷を起つて武蔵の国久目河の宿に付き十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ、此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲するに順風定まらず其の期を知らず、道の間の事心も及ぶこと莫く又筆にも及ばず但暗に推し度る可し、又本より存知の上なれば始めて歎く可きに非ざれば之を止む。
 法華経の第四に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」第五の巻に云く「一切


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