御書本文

曾谷入道殿許御書
1,028ページ

の智慧を盗み取り大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る、然るに震旦一国の王臣等並びに日本国の弘法・慈覚の両大師之を弁えずして信を加う已下の諸学は言うに足らず、但漢土・日本の中に伝教大師一人之を推したまえり、然れども未だ分明ならず所詮・善無畏三蔵・閻魔王の責を蒙りて此の過罪を悔い不空三蔵の還つて天竺に渡つて真言を捨てて漢土に来臨し天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし是なり。
 問うて曰く今時の真言宗の学者等何ぞ此の義を存せざるや、答えて曰く眉は近けれども見えず自の禍を知らずとは是の謂か、嘉祥大師は三論宗を捨てて天台の弟子と為る今の末学等之を知らず、法蔵・澄観華厳宗を置いて智者に帰す彼の宗の学者之を存せず、玄奘三蔵・慈恩大師は五性の邪義を廃して一乗の法に移る法相の学者堅く之を諍う。
 問うて曰く其の証如何、答えて曰く或は心を移して身を移さず或は身を移して心を移さず或は身心共に移し或は身心共に移さず其の証文は別紙に之を出す可し此の消息の詮に非ざれば之を出さず、仏滅後に三時有り、所謂正法一千年・前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等一向に小乗の薬を以て衆生の軽病を対治す四阿含経・十誦八十誦等の諸律と相続解脱経等の三蔵を弘通して後には律宗・倶舎宗・成実宗と号する是なり、後の五百年には馬鳴菩薩・竜樹菩薩・提婆菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師・初には諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し後には一一に彼の義を破失し了つて諸の大乗経を弘通す是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す所謂華厳経・般若経・大日経・深密経等・三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等なり。
 問うて曰く迦葉・阿難等の諸の小聖何ぞ大乗経を弘めざるや、答えて曰く一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり、問うて曰く竜樹・天親等何ぞ一乗経を弘めざるや、答えて曰く四つの義有り先の如し、問うて曰く諸の真言師の云く「仏の滅後八百年に相

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
曾谷入道殿許御書 54 曾谷入道・太田金吾 身延

日蓮大聖人御書

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曾谷入道殿許御書 1,028ページ

の智慧を盗み取り大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る、然るに震旦一国の王臣等並びに日本国の弘法・慈覚の両大師之を弁えずして信を加う已下の諸学は言うに足らず、但漢土・日本の中に伝教大師一人之を推したまえり、然れども未だ分明ならず所詮・善無畏三蔵・閻魔王の責を蒙りて此の過罪を悔い不空三蔵の還つて天竺に渡つて真言を捨てて漢土に来臨し天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし是なり。
 問うて曰く今時の真言宗の学者等何ぞ此の義を存せざるや、答えて曰く眉は近けれども見えず自の禍を知らずとは是の謂か、嘉祥大師は三論宗を捨てて天台の弟子と為る今の末学等之を知らず、法蔵・澄観華厳宗を置いて智者に帰す彼の宗の学者之を存せず、玄奘三蔵・慈恩大師は五性の邪義を廃して一乗の法に移る法相の学者堅く之を諍う。
 問うて曰く其の証如何、答えて曰く或は心を移して身を移さず或は身を移して心を移さず或は身心共に移し或は身心共に移さず其の証文は別紙に之を出す可し此の消息の詮に非ざれば之を出さず、仏滅後に三時有り、所謂正法一千年・前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等一向に小乗の薬を以て衆生の軽病を対治す四阿含経・十誦八十誦等の諸律と相続解脱経等の三蔵を弘通して後には律宗・倶舎宗・成実宗と号する是なり、後の五百年には馬鳴菩薩・竜樹菩薩・提婆菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師・初には諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し後には一一に彼の義を破失し了つて諸の大乗経を弘通す是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す所謂華厳経・般若経・大日経・深密経等・三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等なり。
 問うて曰く迦葉・阿難等の諸の小聖何ぞ大乗経を弘めざるや、答えて曰く一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり、問うて曰く竜樹・天親等何ぞ一乗経を弘めざるや、答えて曰く四つの義有り先の如し、問うて曰く諸の真言師の云く「仏の滅後八百年に相


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