御書本文

曾谷入道殿許御書
1,029ページ

当つて竜猛菩薩・月氏に出現して釈尊の顕教たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し大日の密教をば自ら南天の鉄塔を開拓し面り大日如来と金剛薩埵とに対して之を口決す、竜猛菩薩に二人の弟子有り提婆菩薩には釈迦の顕教を伝え竜智菩薩には大日の密教を授く竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず其の間に提婆菩薩の伝うる所の顕教は先づ漢土に渡る其の後数年を経歴して竜智菩薩の伝うる所の秘密の教を善無畏・金剛智・不空・漢土に渡す」等云云此の義如何、答えて曰く一切の真言師是くの如し又天台華厳等の諸家も一同に之を信ず、抑竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云うか釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説くと云うか、顕を提婆に伝え密を竜智に授くる証文何れの経論に出でたるぞ、此の大妄語は提婆の欺誑罪にも過ぎ瞿伽利の誑言にも超ゆ漢土日本の王位の尽き両朝の僧侶の謗法と為るの由来専ら斯れに在らずや、然れば則ち彼の震旦既に北蕃の為に破られ此の日域も亦西戎の為に侵されんと欲す此等は且らく之を置く。
 像法に入つて一千年・月氏の仏法・漢土に渡来するの間・前四百年には南北の諸師異義蘭菊にして東西の仏法未だ定まらず、四百年の後五百年の前其の中間一百年の間に南岳天台等漢土に出現して粗法華の実義を弘宣したまう然而円慧・円定に於ては国師たりと雖も円頓の戒場未だ之を建立せず故に国を挙つて戒師と仰がず、六百年の已後・法相宗西天より来れり太宗皇帝之を用ゆる故に天台法華宗に帰依するの人漸く薄し、玆に就いて隙を得て則天皇后の御宇に先に破られし華厳亦起つて天台宗に勝れたるの由之を称す、太宗より第八代玄宗皇帝の御宇に真言始めて月氏より来れり所謂開元四年には善無畏三蔵の大日経・蘇悉地経・開元八年には金剛智・不空の両三蔵の金剛頂経此くの如く三経を天竺より漢土に持ち来り、天台の釈を見聞して智発して釈を作つて大日経と法華経とを一経と為し其の上印・真言を加えて密教と号し之に勝るの由、結句権経を以て実経を下す漢土の学者此の事を知らず。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
曾谷入道殿許御書 54 曾谷入道・太田金吾 身延

日蓮大聖人御書

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曾谷入道殿許御書 1,029ページ

当つて竜猛菩薩・月氏に出現して釈尊の顕教たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し大日の密教をば自ら南天の鉄塔を開拓し面り大日如来と金剛薩埵とに対して之を口決す、竜猛菩薩に二人の弟子有り提婆菩薩には釈迦の顕教を伝え竜智菩薩には大日の密教を授く竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず其の間に提婆菩薩の伝うる所の顕教は先づ漢土に渡る其の後数年を経歴して竜智菩薩の伝うる所の秘密の教を善無畏・金剛智・不空・漢土に渡す」等云云此の義如何、答えて曰く一切の真言師是くの如し又天台華厳等の諸家も一同に之を信ず、抑竜猛已前には月氏国の中には大日の三部経無しと云うか釈迦よりの外に大日如来世に出現して三部の経を説くと云うか、顕を提婆に伝え密を竜智に授くる証文何れの経論に出でたるぞ、此の大妄語は提婆の欺誑罪にも過ぎ瞿伽利の誑言にも超ゆ漢土日本の王位の尽き両朝の僧侶の謗法と為るの由来専ら斯れに在らずや、然れば則ち彼の震旦既に北蕃の為に破られ此の日域も亦西戎の為に侵されんと欲す此等は且らく之を置く。
 像法に入つて一千年・月氏の仏法・漢土に渡来するの間・前四百年には南北の諸師異義蘭菊にして東西の仏法未だ定まらず、四百年の後五百年の前其の中間一百年の間に南岳天台等漢土に出現して粗法華の実義を弘宣したまう然而円慧・円定に於ては国師たりと雖も円頓の戒場未だ之を建立せず故に国を挙つて戒師と仰がず、六百年の已後・法相宗西天より来れり太宗皇帝之を用ゆる故に天台法華宗に帰依するの人漸く薄し、玆に就いて隙を得て則天皇后の御宇に先に破られし華厳亦起つて天台宗に勝れたるの由之を称す、太宗より第八代玄宗皇帝の御宇に真言始めて月氏より来れり所謂開元四年には善無畏三蔵の大日経・蘇悉地経・開元八年には金剛智・不空の両三蔵の金剛頂経此くの如く三経を天竺より漢土に持ち来り、天台の釈を見聞して智発して釈を作つて大日経と法華経とを一経と為し其の上印・真言を加えて密教と号し之に勝るの由、結句権経を以て実経を下す漢土の学者此の事を知らず。


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