御書本文

曾谷入道殿許御書
1,038ページ

滝の如く一身悦びを徧くす、「此の経典東北に縁有り」云云西天の月支国は未申の方・東方の日本国は丑寅の方なり、天竺に於て東北に縁有りとは豈日本国に非ずや、遵式の筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し」云云、正像二千年には西より東に流る暮月の西空より始まるが如し末法五百年には東より西に入る朝日の東天より出ずるに似たり、根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り末の初・地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るが故に」云云、又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機・今正しく是れ其の時なり何を以て知る事を得ん安楽行品に云く末世法滅の時なり」云云・此の釈は語美しく心隠れたり、読まん人之を解し難きか、伝教大師の語は我が時に似て心は末法を示したもうなり、大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり、大集経の文を以て之を勘うるに大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る全く第五闘諍堅固の時に非ず、而るに余処の釈に末法太有近の言は有り定めて知んぬ闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざるなり。
 予倩事の情を案ずるに大師薬王菩薩として霊山会上に侍して仏・上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗之を喩すか、而るに予地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に地涌の大士に前立ちて粗五字を示す例せば西王母の先相には青鳥・客人の来るには〓鵲の如し、此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし然れば則ち予所持の聖教・多多之有り、然りと雖も両度の御勘気・衆度の大難の時は或は一巻二巻散失し或は一字二字脱落し或は魚魯の謬悞或は一部二部損朽す、若し黙止して一期を過ぐるの後には弟子等定んで謬乱出来の基なり、爰を以つて愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す、而るに風聞の如くんば貴辺並びに大田金吾殿・越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多の聖教あり等云云、両人共に大檀那為り所願を成ぜしめたまえ、涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り外には清浄の檀越有つて仏法久住

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
曾谷入道殿許御書 54 曾谷入道・太田金吾 身延

日蓮大聖人御書

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曾谷入道殿許御書 1,038ページ

滝の如く一身悦びを徧くす、「此の経典東北に縁有り」云云西天の月支国は未申の方・東方の日本国は丑寅の方なり、天竺に於て東北に縁有りとは豈日本国に非ずや、遵式の筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し」云云、正像二千年には西より東に流る暮月の西空より始まるが如し末法五百年には東より西に入る朝日の東天より出ずるに似たり、根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り末の初・地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るが故に」云云、又云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機・今正しく是れ其の時なり何を以て知る事を得ん安楽行品に云く末世法滅の時なり」云云・此の釈は語美しく心隠れたり、読まん人之を解し難きか、伝教大師の語は我が時に似て心は末法を示したもうなり、大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり、大集経の文を以て之を勘うるに大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当る全く第五闘諍堅固の時に非ず、而るに余処の釈に末法太有近の言は有り定めて知んぬ闘諍堅固の筆は我が時を指すに非ざるなり。
 予倩事の情を案ずるに大師薬王菩薩として霊山会上に侍して仏・上行菩薩出現の時を兼ねて之を記したもう故に粗之を喩すか、而るに予地涌の一分に非ざれども兼ねて此の事を知る故に地涌の大士に前立ちて粗五字を示す例せば西王母の先相には青鳥・客人の来るには〓鵲の如し、此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし然れば則ち予所持の聖教・多多之有り、然りと雖も両度の御勘気・衆度の大難の時は或は一巻二巻散失し或は一字二字脱落し或は魚魯の謬悞或は一部二部損朽す、若し黙止して一期を過ぐるの後には弟子等定んで謬乱出来の基なり、爰を以つて愚身老耄已前に之を糾調せんと欲す、而るに風聞の如くんば貴辺並びに大田金吾殿・越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多の聖教あり等云云、両人共に大檀那為り所願を成ぜしめたまえ、涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り外には清浄の檀越有つて仏法久住


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