御書本文

曾谷入道殿御返事 曾谷殿御返事
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 所詮妙法蓮華経の五字をば当時の人人は名と計りと思へり、さにては候はず体なり体とは心にて候、章安云く「蓋し序王は経の玄意を叙し玄意は文の心を述す」と云云、此の釈の心は妙法蓮華経と申すは文にあらず義にあらず一経の心なりと釈せられて候、されば題目をはなれて法華経の心を尋ぬる者は猨をはなれて肝をたづねし・はかなき亀なり、山林をすてて菓を大海の辺にもとめし猨猴なり、はかなしはかなし。
 建治三年丁丑霜月二十八日 日 蓮花押
 曾谷次郎入道殿

曾谷殿御返事

 曾谷殿御返事 弘安二年八月 五十八歳御作

 焼米二俵給畢ぬ、米は少と思食し候へども人の寿命を継ぐ物にて候、命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり、米は命を継ぐ物なり譬えば米は油の如く命は燈の如し、法華経は燈の如く行者は油の如し檀那は油の如く行者は燈の如し、一切の百味の中には乳味と申して牛の乳第一なり、涅槃経の七に云く「猶諸味の中に乳最も為れ第一なるが如し」云云、乳味をせんずれば酪味となる酪味をせんずれば乃至醍醐味となる醍醐味は五味の中の第一なり、法門を以て五味にたとへば儒家の三千・外道の十八大経は衆味の如し、阿含経は醍醐味なり、阿含経は乳味の如く観経等の一切の方等部の経は酪味の如し、一切の般若経は生蘇味・華厳経は熟蘇味・無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐のごとし又涅槃経は醍醐のごとし法華経は五味の主の如し、妙楽大師云く「若し教旨を論ずれば法華は唯開権顕遠を以つて教の正主と為す独り妙の名を得る意此に在り」云云、又云く「故に知んぬ法華は為れ醍醐の正主」等云云、此の釈は正く法華経は五味の中にはあらず此の釈の心は五味は

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
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日蓮大聖人御書

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 所詮妙法蓮華経の五字をば当時の人人は名と計りと思へり、さにては候はず体なり体とは心にて候、章安云く「蓋し序王は経の玄意を叙し玄意は文の心を述す」と云云、此の釈の心は妙法蓮華経と申すは文にあらず義にあらず一経の心なりと釈せられて候、されば題目をはなれて法華経の心を尋ぬる者は猨をはなれて肝をたづねし・はかなき亀なり、山林をすてて菓を大海の辺にもとめし猨猴なり、はかなしはかなし。
 建治三年丁丑霜月二十八日 日 蓮花押
 曾谷次郎入道殿

曾谷殿御返事

 曾谷殿御返事 弘安二年八月 五十八歳御作

 焼米二俵給畢ぬ、米は少と思食し候へども人の寿命を継ぐ物にて候、命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり、米は命を継ぐ物なり譬えば米は油の如く命は燈の如し、法華経は燈の如く行者は油の如し檀那は油の如く行者は燈の如し、一切の百味の中には乳味と申して牛の乳第一なり、涅槃経の七に云く「猶諸味の中に乳最も為れ第一なるが如し」云云、乳味をせんずれば酪味となる酪味をせんずれば乃至醍醐味となる醍醐味は五味の中の第一なり、法門を以て五味にたとへば儒家の三千・外道の十八大経は衆味の如し、阿含経は醍醐味なり、阿含経は乳味の如く観経等の一切の方等部の経は酪味の如し、一切の般若経は生蘇味・華厳経は熟蘇味・無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐のごとし又涅槃経は醍醐のごとし法華経は五味の主の如し、妙楽大師云く「若し教旨を論ずれば法華は唯開権顕遠を以つて教の正主と為す独り妙の名を得る意此に在り」云云、又云く「故に知んぬ法華は為れ醍醐の正主」等云云、此の釈は正く法華経は五味の中にはあらず此の釈の心は五味は


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