御書本文

曾谷殿御返事 曾谷二郎入道殿御返事
1,065ページ

 しかるに日蓮が一るいいかなる過去の宿じうにや法華経の題目のだんなとなり給うらん、是をもつてをぼしめせ今梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩・日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎは過去の輪陀王のごとし、白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし。
 抑貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵞目其の数有りしかば今年一百よ人の人を山中にやしなひて十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ、此れらは末代悪世には一えんぶだい第一の仏事にてこそ候へ、いくそばくか過去の聖霊も・うれしくをぼすらん、釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり貴辺あに世尊にあらずや、故大進阿闍梨の事なげかしく候へども此れ又法華経の流布の出来すべきいんえんにてや候らんとをぼしめすべし、事事命ながらへば其の時申すべし。
 弘安二年己卯八月十七日 日 蓮花押
 曾谷道宗御返事

曾谷二郎入道殿御返事

 曾谷二郎入道殿御返事 弘安四年七月 六十歳御作
 日 蓮
 去る七月十九日の消息同卅日到来す、世間の事は且らく之を置く専ら仏法に逆うこと、法華経の第二に云く「其人命終入阿鼻獄」等云云、問うて云く其の人とは何等の人を指すや、答えて云く次上に云く「唯我一人・能為救護・雖復教詔・而不信受」と、又云く「若人不信」と、又云く「或復顰蹙」又云く「見有読誦書持経者・軽賤憎

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
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日蓮大聖人御書

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曾谷殿御返事 曾谷二郎入道殿御返事 1,065ページ

 しかるに日蓮が一るいいかなる過去の宿じうにや法華経の題目のだんなとなり給うらん、是をもつてをぼしめせ今梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩・日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎは過去の輪陀王のごとし、白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり・白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし。
 抑貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵞目其の数有りしかば今年一百よ人の人を山中にやしなひて十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ、此れらは末代悪世には一えんぶだい第一の仏事にてこそ候へ、いくそばくか過去の聖霊も・うれしくをぼすらん、釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり貴辺あに世尊にあらずや、故大進阿闍梨の事なげかしく候へども此れ又法華経の流布の出来すべきいんえんにてや候らんとをぼしめすべし、事事命ながらへば其の時申すべし。
 弘安二年己卯八月十七日 日 蓮花押
 曾谷道宗御返事

曾谷二郎入道殿御返事

 曾谷二郎入道殿御返事 弘安四年七月 六十歳御作
 日 蓮
 去る七月十九日の消息同卅日到来す、世間の事は且らく之を置く専ら仏法に逆うこと、法華経の第二に云く「其人命終入阿鼻獄」等云云、問うて云く其の人とは何等の人を指すや、答えて云く次上に云く「唯我一人・能為救護・雖復教詔・而不信受」と、又云く「若人不信」と、又云く「或復顰蹙」又云く「見有読誦書持経者・軽賤憎


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