御書本文
法わたりて四百年・仏滅後一千四百余年なり、其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二代・用明天皇の太子・聖徳太子と申せし人・漢土へ使を・つかわして法華経を・とりよせ・まいらせて日本国に弘通し給いき、それより・このかた七百余年なり、仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候上・月氏・漢土・日本の山山・河河・海海・里里・遠くへだたり人人・心心・国国・各各・別別にして語かわり・しなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁え候べき、ただ経経の文字を引き合せてこそ知るべきに・一切経はやうやうに候へども法華経と申す御経は八巻まします・流通に普賢経・序分の無量義経・各一巻已上・此の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見るが・ごとし、日出でて草木の色を弁えるににたり、序分の無量義経を見まいらせ候へば「四十余年未だ真実を顕わさず」と申す経文あり、法華経の第一の巻・方便品の始めに「世尊の法は久しき後に要らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり、第四の巻の宝塔品には「妙法華経・皆是真実」と申す明文あり、第七の巻には「舌相梵天に至る」と申す経文赫赫たり、其の外は此の経より外のさきのちならべる経経をば星に譬へ・江河に譬へ・小王に譬へ・小山に譬へたり、法華経をば月に譬へ・日に譬へ・大海・大山・大王等に譬へ給へり、此の語は私の言には有らず皆如来の金言なり・十方の諸仏の御評定の御言なり、一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈・今の天に懸りて明鏡のごとくにまします、日月も見給いき聞き給いき其の日月の御語も此の経にのせられて候、月氏・漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなり給いし神神なり、天照太神・八幡大菩薩・熊野・すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず、此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじのごとし兎のごとし・鷲につかまれては涙をながし・師子にせめられては腸わたをたつ、念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし、法華経の行者に値いぬれば・いろを失い魂をけすなり。
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
---|---|---|---|
千日尼御前御返事 | 57 | 阿仏房尼 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
千日尼御前御返事 1,310ページ
法わたりて四百年・仏滅後一千四百余年なり、其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二代・用明天皇の太子・聖徳太子と申せし人・漢土へ使を・つかわして法華経を・とりよせ・まいらせて日本国に弘通し給いき、それより・このかた七百余年なり、仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候上・月氏・漢土・日本の山山・河河・海海・里里・遠くへだたり人人・心心・国国・各各・別別にして語かわり・しなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁え候べき、ただ経経の文字を引き合せてこそ知るべきに・一切経はやうやうに候へども法華経と申す御経は八巻まします・流通に普賢経・序分の無量義経・各一巻已上・此の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見るが・ごとし、日出でて草木の色を弁えるににたり、序分の無量義経を見まいらせ候へば「四十余年未だ真実を顕わさず」と申す経文あり、法華経の第一の巻・方便品の始めに「世尊の法は久しき後に要らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり、第四の巻の宝塔品には「妙法華経・皆是真実」と申す明文あり、第七の巻には「舌相梵天に至る」と申す経文赫赫たり、其の外は此の経より外のさきのちならべる経経をば星に譬へ・江河に譬へ・小王に譬へ・小山に譬へたり、法華経をば月に譬へ・日に譬へ・大海・大山・大王等に譬へ給へり、此の語は私の言には有らず皆如来の金言なり・十方の諸仏の御評定の御言なり、一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈・今の天に懸りて明鏡のごとくにまします、日月も見給いき聞き給いき其の日月の御語も此の経にのせられて候、月氏・漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなり給いし神神なり、天照太神・八幡大菩薩・熊野・すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず、此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし、南無阿弥陀仏経等はきじのごとし兎のごとし・鷲につかまれては涙をながし・師子にせめられては腸わたをたつ、念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし、法華経の行者に値いぬれば・いろを失い魂をけすなり。
- 自由語検索