御書本文

中興入道消息
1,332ページ

やく・けんじん国国に充満せり、かの人人は自行には或は真言を行じ・或は般若・或は仁王・或は阿弥陀仏の名号・或は観音・或は地蔵・或は三千仏・或は法華経読誦しをるとは申せども・無智の道俗をすすむるには・ただ南無阿弥陀仏と申すべし、譬えば女人の幼子をまうけたるに或はほり・或はかわ・或はひとりなるには・母よ母よと申せば・ききつけぬれば・かならず他事をすてて・たすくる習なり、阿弥陀仏も又是くの如し我等は幼子なり・阿弥陀仏は母なり・地獄のあな・餓鬼のほりなんどにをち入りぬれば・南無阿弥陀仏と申せば音と響との如く必ず来りて・すくひ給うなりと・一切の智人ども教へ給いしかば・我が日本国かく申しならはして年ひさしくなり候。
 然るに日蓮は中国・都の者にもあらず・辺国の将軍等の子息にもあらず・遠国の者・民が子にて候いしかば・日本国・七百余年に一人も・いまだ唱へまいらせ候はぬ南無妙法蓮華経と唱え候のみならず、皆人の父母のごとく日月の如く主君の如くわたりに船の如く渇して水のごとくうえて飯の如く思いて候・南無阿弥陀仏を無間地獄の業なりと申し候ゆへに・食に石をたひたる様に・がんせきに馬のはねたるやうに・渡りに・大風の吹き来たるやうに・じゆらくに大火のつきたるやうに・俄にかたきのよせたるやうに・とわりのきさきになるやうに・をどろき・そねみ・ねたみ候ゆへに・去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間・退転なく申しつより候事月のみつるがごとく・しほのさすがごとく・はじめは日蓮只一人・唱へ候いしほどに、見る人値う人聞く人・耳をふさぎ・眼をいからかし・口をひそめ・手をにぎり・はをかみ・父母・兄弟・師匠ぜんうも・かたきとなる、後には所の地頭・領家かたきとなる・後には一国さはぎ・後には万人をどろくほどに、或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ・或は悪口のためにとなへ・或は信ずるに似て唱へ・或はそしるに似て唱へなんどする程に、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経・のこりの九分は或は両方・或はうたがひ・或は一向念仏者なる者は・父母のかたき主君のかたき・宿世のかたきのやうにののしる、村主・郷主・国主等は謀叛の者のごとくあだまれたり、かく

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
中興入道消息 58 中興入道女房 身延

日蓮大聖人御書

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中興入道消息 1,332ページ

やく・けんじん国国に充満せり、かの人人は自行には或は真言を行じ・或は般若・或は仁王・或は阿弥陀仏の名号・或は観音・或は地蔵・或は三千仏・或は法華経読誦しをるとは申せども・無智の道俗をすすむるには・ただ南無阿弥陀仏と申すべし、譬えば女人の幼子をまうけたるに或はほり・或はかわ・或はひとりなるには・母よ母よと申せば・ききつけぬれば・かならず他事をすてて・たすくる習なり、阿弥陀仏も又是くの如し我等は幼子なり・阿弥陀仏は母なり・地獄のあな・餓鬼のほりなんどにをち入りぬれば・南無阿弥陀仏と申せば音と響との如く必ず来りて・すくひ給うなりと・一切の智人ども教へ給いしかば・我が日本国かく申しならはして年ひさしくなり候。
 然るに日蓮は中国・都の者にもあらず・辺国の将軍等の子息にもあらず・遠国の者・民が子にて候いしかば・日本国・七百余年に一人も・いまだ唱へまいらせ候はぬ南無妙法蓮華経と唱え候のみならず、皆人の父母のごとく日月の如く主君の如くわたりに船の如く渇して水のごとくうえて飯の如く思いて候・南無阿弥陀仏を無間地獄の業なりと申し候ゆへに・食に石をたひたる様に・がんせきに馬のはねたるやうに・渡りに・大風の吹き来たるやうに・じゆらくに大火のつきたるやうに・俄にかたきのよせたるやうに・とわりのきさきになるやうに・をどろき・そねみ・ねたみ候ゆへに・去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間・退転なく申しつより候事月のみつるがごとく・しほのさすがごとく・はじめは日蓮只一人・唱へ候いしほどに、見る人値う人聞く人・耳をふさぎ・眼をいからかし・口をひそめ・手をにぎり・はをかみ・父母・兄弟・師匠ぜんうも・かたきとなる、後には所の地頭・領家かたきとなる・後には一国さはぎ・後には万人をどろくほどに、或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ・或は悪口のためにとなへ・或は信ずるに似て唱へ・或はそしるに似て唱へなんどする程に、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経・のこりの九分は或は両方・或はうたがひ・或は一向念仏者なる者は・父母のかたき主君のかたき・宿世のかたきのやうにののしる、村主・郷主・国主等は謀叛の者のごとくあだまれたり、かく


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