御書本文

祈祷抄
1,350ページ

土に充満せさせ給いし諸大菩薩・身を曲・低頭合掌し倶に同時に声をあげて「世尊の勅の如く当に具さに奉行したてまつるべし」と三度まで・声を惜まず・よばわりしかば、いかでか法華経の行者には・かわらせ給はざるべき、はんよきと云いしものけいかに頭を取せ・きさつと云いしもの徐の君が塚に刀をかけし、約束を違へじがためなり、此れ等は震旦・辺土のえびすの如くなるものども・だにも友の約束に命をも亡ぼし身に代へて思ふ刀をも塚に懸くるぞかし、まして諸大菩薩は本より大悲代受苦の誓ひ深し・仏の御諫なしとも・いかでか法華経の行者を捨て給うべき、其の上我が成仏の経たる上・仏・慇懃に諫め給いしかば・仏前の御誓・丁寧なり行者を助け給う事疑うべからず。
 仏は人天の主・一切衆生の父母なり・而も開導の師なり、父母なれども賤き父母は主君の義をかねず、主君なれども父母ならざればおそろしき辺もあり、父母・主君なれども師匠なる事はなし・諸仏は又世尊にてましませば主君にては・ましませども・娑婆世界に出でさせ給はざれば師匠にあらず・又「其中衆生悉是吾子」とも名乗らせ給はず・釈迦仏独・主師親の三義をかね給へり、しかれども四十余年の間は提婆達多を罵給ひ諸の声聞をそしり菩薩の果分の法門を惜み給しかば、仏なれども・よりよりは天魔・破旬ばしの我等をなやますかの疑ひ・人には・いはざれども心の中には思いしなり、此の心は四十余年より法華経の始まで失せず、而るを霊山八年の間に宝塔・虚空に現じ二仏・日月の如く並び・諸仏大地に列り大山をあつめたるがごとく、地涌千界の菩薩・虚空に星の如く列り給いて、諸仏の果分の功徳を吐き給いしかば・宝蔵をかたぶけて貧人にあたうるがごとく・崑崙山のくづれたるににたりき、諸人此の玉をのみ拾うが如く此の八箇年が間・珍しく貴き事心髄にも・とをりしかば・諸菩薩・身命も惜まず言をはぐくまず誓をなせし程に・属累品にして釈迦如来・宝塔を出でさせ給いてとびらを押したて給いしかば諸仏は国国へ返り給ひき、諸の菩薩等も諸仏に随ひ奉りて返らせ給ひぬ。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
祈祷抄 51    

日蓮大聖人御書

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祈祷抄 1,350ページ

土に充満せさせ給いし諸大菩薩・身を曲・低頭合掌し倶に同時に声をあげて「世尊の勅の如く当に具さに奉行したてまつるべし」と三度まで・声を惜まず・よばわりしかば、いかでか法華経の行者には・かわらせ給はざるべき、はんよきと云いしものけいかに頭を取せ・きさつと云いしもの徐の君が塚に刀をかけし、約束を違へじがためなり、此れ等は震旦・辺土のえびすの如くなるものども・だにも友の約束に命をも亡ぼし身に代へて思ふ刀をも塚に懸くるぞかし、まして諸大菩薩は本より大悲代受苦の誓ひ深し・仏の御諫なしとも・いかでか法華経の行者を捨て給うべき、其の上我が成仏の経たる上・仏・慇懃に諫め給いしかば・仏前の御誓・丁寧なり行者を助け給う事疑うべからず。
 仏は人天の主・一切衆生の父母なり・而も開導の師なり、父母なれども賤き父母は主君の義をかねず、主君なれども父母ならざればおそろしき辺もあり、父母・主君なれども師匠なる事はなし・諸仏は又世尊にてましませば主君にては・ましませども・娑婆世界に出でさせ給はざれば師匠にあらず・又「其中衆生悉是吾子」とも名乗らせ給はず・釈迦仏独・主師親の三義をかね給へり、しかれども四十余年の間は提婆達多を罵給ひ諸の声聞をそしり菩薩の果分の法門を惜み給しかば、仏なれども・よりよりは天魔・破旬ばしの我等をなやますかの疑ひ・人には・いはざれども心の中には思いしなり、此の心は四十余年より法華経の始まで失せず、而るを霊山八年の間に宝塔・虚空に現じ二仏・日月の如く並び・諸仏大地に列り大山をあつめたるがごとく、地涌千界の菩薩・虚空に星の如く列り給いて、諸仏の果分の功徳を吐き給いしかば・宝蔵をかたぶけて貧人にあたうるがごとく・崑崙山のくづれたるににたりき、諸人此の玉をのみ拾うが如く此の八箇年が間・珍しく貴き事心髄にも・とをりしかば・諸菩薩・身命も惜まず言をはぐくまず誓をなせし程に・属累品にして釈迦如来・宝塔を出でさせ給いてとびらを押したて給いしかば諸仏は国国へ返り給ひき、諸の菩薩等も諸仏に随ひ奉りて返らせ給ひぬ。


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