御書本文

上野殿御返事
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あはせ給うなり、いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし、いかなれば他人は五六十までも親と同じしらがなる人もあり、我がわかき身に親にはやくをくれて教訓をもうけ給はらざるらんと・御心のうちをしはかるこそなみだもとまり候はね。
 抑日蓮は日本国をたすけんとふかくおもへども・日本国の上下万人・一同に国のほろぶべきゆへにや用いられざる上・度度あだをなさるれば力をよばず山林にまじはり候いぬ、大蒙古国よりよせて候と申せば、申せし事を御用いあらば・いかになんど・あはれなり、皆人の当時のいきつしまのやうにならせ給はん事・おもひやり候へば・なみだもとまらず。
 念仏宗と申すは亡国の悪法なり、このいくさには大体・人人の自害をし候はんずるなり、善導と申す愚癡の法師がひろめはじめて自害をして候ゆへに・念仏をよくよく申せば自害の心出来し候ぞ。
 禅宗と申し当時の持斎法師等は天魔の所為なり、教外別伝と申して神も仏もなしなんど申すものぐるはしき悪法なり。
 真言宗と申す宗は本は下劣の経にて候いしを・誑惑して法華経にも勝るなんど申して多くの人人・大師僧正なんどになりて日本国に大体充満して上一人より頭をかたぶけたり、これが第一の邪事に候を昔より今にいたるまで知る人なし、但伝教大師と申せし人こそしりて候いしかども・くはしくもおほせられず、さては日蓮ほぼこの事をしれり、後白河の法皇の太政の入道にせめられ給いし、隠岐の法王のかまくらにまけさせ給いし事みな真言悪法のゆへなり、漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う、この悪法かまくらに下つて当時かまくらにはやる僧正法印等は是なり、これらの人人このいくさを調伏せば百日たたかふべきは十日につづまり・十日のいくさは一日にせめらるべし。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
上野殿御返事 53 南条七郎次郎 身延

日蓮大聖人御書

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上野殿御返事 1,509ページ

あはせ給うなり、いかにいはんや故聖霊も殿も同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし、いかなれば他人は五六十までも親と同じしらがなる人もあり、我がわかき身に親にはやくをくれて教訓をもうけ給はらざるらんと・御心のうちをしはかるこそなみだもとまり候はね。
 抑日蓮は日本国をたすけんとふかくおもへども・日本国の上下万人・一同に国のほろぶべきゆへにや用いられざる上・度度あだをなさるれば力をよばず山林にまじはり候いぬ、大蒙古国よりよせて候と申せば、申せし事を御用いあらば・いかになんど・あはれなり、皆人の当時のいきつしまのやうにならせ給はん事・おもひやり候へば・なみだもとまらず。
 念仏宗と申すは亡国の悪法なり、このいくさには大体・人人の自害をし候はんずるなり、善導と申す愚癡の法師がひろめはじめて自害をして候ゆへに・念仏をよくよく申せば自害の心出来し候ぞ。
 禅宗と申し当時の持斎法師等は天魔の所為なり、教外別伝と申して神も仏もなしなんど申すものぐるはしき悪法なり。
 真言宗と申す宗は本は下劣の経にて候いしを・誑惑して法華経にも勝るなんど申して多くの人人・大師僧正なんどになりて日本国に大体充満して上一人より頭をかたぶけたり、これが第一の邪事に候を昔より今にいたるまで知る人なし、但伝教大師と申せし人こそしりて候いしかども・くはしくもおほせられず、さては日蓮ほぼこの事をしれり、後白河の法皇の太政の入道にせめられ給いし、隠岐の法王のかまくらにまけさせ給いし事みな真言悪法のゆへなり、漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う、この悪法かまくらに下つて当時かまくらにはやる僧正法印等は是なり、これらの人人このいくさを調伏せば百日たたかふべきは十日につづまり・十日のいくさは一日にせめらるべし。


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