御書本文

神国王御書
1,518ページ

ば座主両方を兼ねたり、しかれども法華宗をば月のごとく・真言宗をば日のごとしといいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝れたりとをもへけり、しかれども座主は両方を兼ねて兼学し給いけり大衆も又かくのごとし。
 同じき御宇に円珍和尚と申す人・御入唐・漢土にして法華・真言の両宗をならう、同じき御宇に天安二年に帰朝す、此の人は本朝にしては叡山第一の座主義真・第二の座主円澄・別当光定・第三の座主円仁等に法華・真言の両宗をならいきわめ給うのみならず・又東寺の真言をも習い給へり、其の後に漢土にわたりて法華・真言の両宗をみがき給う・今の三井寺の法華・真言の元祖・智証大師此れなり、已上四大師なり。
 総じて日本国には真言宗に又八家あり、東寺に五家・弘法大師を本とす・天台に三家・慈覚大師を本とす。
 人王八十一代をば安徳天皇と申す父は高倉院の長子・母は太政入道の女建礼門院なり、此の王は元暦元年乙巳三月二十四日・八島にして海中に崩じ給いき、此の王は源ノ頼朝将軍にせめられて海中のいろくづの食となり給う、人王八十二代は隠岐の法皇と申す高倉の第三の王子・文治元年丙午御即位、八十三代には阿波の院・隠岐の法皇の長子・建仁二年に位を継ぎ給う、八十四代には佐渡の院・隠岐の法皇の第二の王子・承久三年辛巳二月二十六日に王位につき給う、同じき七月に佐渡の島にうつされ給う、此の二・三・四の三王は父子なり鎌倉の右大将の家人・義時にせめられさせ給へるなり。
 此に日蓮大いに疑つて云く仏と申すは三界の国主・大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり主なり親なり、三界の諸王は皆は此の釈迦仏より分ち給いて諸国の総領・別領等の主となし給へり、故に梵釈等は此の仏を或は木像・或は画像等にあがめ給う、須臾も相背かば梵王の高台もくづれ帝釈の喜見もやぶれ輪王もかほり落ち給うべし、神と申すは又国国の国主等の崩去し給えるを生身のごとく・あがめ給う、此れ又国王・国人のための父母なり・主君なり・師匠なり・片時もそむかば国安穏なるべからず、此れを崇むれば国は三災を消し七難

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
神国王御書 54   身延

日蓮大聖人御書

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神国王御書 1,518ページ

ば座主両方を兼ねたり、しかれども法華宗をば月のごとく・真言宗をば日のごとしといいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝れたりとをもへけり、しかれども座主は両方を兼ねて兼学し給いけり大衆も又かくのごとし。
 同じき御宇に円珍和尚と申す人・御入唐・漢土にして法華・真言の両宗をならう、同じき御宇に天安二年に帰朝す、此の人は本朝にしては叡山第一の座主義真・第二の座主円澄・別当光定・第三の座主円仁等に法華・真言の両宗をならいきわめ給うのみならず・又東寺の真言をも習い給へり、其の後に漢土にわたりて法華・真言の両宗をみがき給う・今の三井寺の法華・真言の元祖・智証大師此れなり、已上四大師なり。
 総じて日本国には真言宗に又八家あり、東寺に五家・弘法大師を本とす・天台に三家・慈覚大師を本とす。
 人王八十一代をば安徳天皇と申す父は高倉院の長子・母は太政入道の女建礼門院なり、此の王は元暦元年乙巳三月二十四日・八島にして海中に崩じ給いき、此の王は源ノ頼朝将軍にせめられて海中のいろくづの食となり給う、人王八十二代は隠岐の法皇と申す高倉の第三の王子・文治元年丙午御即位、八十三代には阿波の院・隠岐の法皇の長子・建仁二年に位を継ぎ給う、八十四代には佐渡の院・隠岐の法皇の第二の王子・承久三年辛巳二月二十六日に王位につき給う、同じき七月に佐渡の島にうつされ給う、此の二・三・四の三王は父子なり鎌倉の右大将の家人・義時にせめられさせ給へるなり。
 此に日蓮大いに疑つて云く仏と申すは三界の国主・大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり主なり親なり、三界の諸王は皆は此の釈迦仏より分ち給いて諸国の総領・別領等の主となし給へり、故に梵釈等は此の仏を或は木像・或は画像等にあがめ給う、須臾も相背かば梵王の高台もくづれ帝釈の喜見もやぶれ輪王もかほり落ち給うべし、神と申すは又国国の国主等の崩去し給えるを生身のごとく・あがめ給う、此れ又国王・国人のための父母なり・主君なり・師匠なり・片時もそむかば国安穏なるべからず、此れを崇むれば国は三災を消し七難


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