自由語検索 検索結果詳細 御書本文

衆生身心御書
1,592ページ

たらざるは迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等なり、像法に入り一千年・漢土に仏法わたりしかば始めは儒家と相論せしゆへに・いとまなきかのゆへに仏教の内の大小・権実の沙汰なし、やうやく仏法流布せし上・月支より・かさねがさね仏法わたり来るほどに・前の人人は・かしこきやうなれども・後にわたる経論をもつて・みれば・はかなき事も出来す、又はかなくをもひし人人も・かしこくみゆる事もありき、結句は十流になりて千万の義ありしかば愚者はいづれに・つくべしともみへず、智者とをぼしき人は辺執かぎりなし、而れども最極は一同の義あり・所謂一代第一は華厳経・第二は涅槃経・第三は法華経・此の義は上一人より下万民にいたるまで異義なし、大聖とあうぎし法雲法師・智蔵法師等の十師の義一同なりしゆへなり。
 而るを像法の中の陳隋の代に智顗と申す小僧あり後には智者大師とがうす、法門多しといへども詮ずるところ法華・涅槃・華厳経の勝劣の一つ計りなり、智顗法師云く仏法さかさまなり云云、陳主此の事をたださんがために南北の十師の最頂たる恵〓僧上・恵光僧都・恵栄・法歳法師等の百有余人を召し合わせられし時・法華経の中には「諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云、又云く「已今当説最為難信難解」等云云、已とは無量義経に云く「摩訶般若華厳海空」等云云、当とは涅槃経に云く「般若はら蜜より大涅槃を出だす」等云云、此の経文は華厳経・涅槃経には法華経勝ると見ゆる事赫赫たり・明明たり・御会通あるべしと・せめしかば、或は口をとぢ・或は悪口をはき・或は色をへんじなんど・せしかども、陳主立つて三拝し百官掌をあわせしかば力及ばずまけにき。
 一代の中には第一法華経にてありしほどに像法の後の五百に新訳の経論重ねてわたる大宗皇帝の貞観三年に玄奘と申す人あり・月支に入りて十七年・五天の仏法を習いきわめて貞観十九年に漢土へわたりしが・深密経・瑜伽論・唯識論・法相宗をわたす、玄奘云く「月支に宗宗多しといへども此の宗第一なり」大宗皇帝は又漢土第一の賢王なり・玄奘を師とす、此の宗の所詮に云く「或は三乗方便・一乗真実」或は一乗方便・三乗真実・又云く「五性は

この御書の最初のページ前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
衆生身心御書     身延

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

衆生身心御書 1,592ページ

たらざるは迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等なり、像法に入り一千年・漢土に仏法わたりしかば始めは儒家と相論せしゆへに・いとまなきかのゆへに仏教の内の大小・権実の沙汰なし、やうやく仏法流布せし上・月支より・かさねがさね仏法わたり来るほどに・前の人人は・かしこきやうなれども・後にわたる経論をもつて・みれば・はかなき事も出来す、又はかなくをもひし人人も・かしこくみゆる事もありき、結句は十流になりて千万の義ありしかば愚者はいづれに・つくべしともみへず、智者とをぼしき人は辺執かぎりなし、而れども最極は一同の義あり・所謂一代第一は華厳経・第二は涅槃経・第三は法華経・此の義は上一人より下万民にいたるまで異義なし、大聖とあうぎし法雲法師・智蔵法師等の十師の義一同なりしゆへなり。
 而るを像法の中の陳隋の代に智顗と申す小僧あり後には智者大師とがうす、法門多しといへども詮ずるところ法華・涅槃・華厳経の勝劣の一つ計りなり、智顗法師云く仏法さかさまなり云云、陳主此の事をたださんがために南北の十師の最頂たる恵〓僧上・恵光僧都・恵栄・法歳法師等の百有余人を召し合わせられし時・法華経の中には「諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云、又云く「已今当説最為難信難解」等云云、已とは無量義経に云く「摩訶般若華厳海空」等云云、当とは涅槃経に云く「般若はら蜜より大涅槃を出だす」等云云、此の経文は華厳経・涅槃経には法華経勝ると見ゆる事赫赫たり・明明たり・御会通あるべしと・せめしかば、或は口をとぢ・或は悪口をはき・或は色をへんじなんど・せしかども、陳主立つて三拝し百官掌をあわせしかば力及ばずまけにき。
 一代の中には第一法華経にてありしほどに像法の後の五百に新訳の経論重ねてわたる大宗皇帝の貞観三年に玄奘と申す人あり・月支に入りて十七年・五天の仏法を習いきわめて貞観十九年に漢土へわたりしが・深密経・瑜伽論・唯識論・法相宗をわたす、玄奘云く「月支に宗宗多しといへども此の宗第一なり」大宗皇帝は又漢土第一の賢王なり・玄奘を師とす、此の宗の所詮に云く「或は三乗方便・一乗真実」或は一乗方便・三乗真実・又云く「五性は


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション