自由語検索 検索結果詳細 御書本文

衆生身心御書
1,593ページ

各別なり・決定性と無性の有情は永く仏に成らず」等と云云、此の義は天台宗と水火なり・而も天台大師と章安大師は御入滅なりぬ・其の已下の人人は人非人なり・すでに天台宗破れてみへしなり。
 其の後則天皇后の御世に華厳宗立つ・前に天台大師にせめられし六十巻の華厳経をば・さしをきて後に日照三蔵のわたせる新訳の華厳経八十巻をもつて立てたり、此の宗のせんにいわく華厳経は根本法輪・法華経は枝末法輪等云云、則天皇后は尼にてをはせしが内外典に・こざかしき人なり、慢心たかくして天台宗をさげをぼしてありしなり、法相といゐ・華厳宗といゐ・二重に法華経かくれさせ給う。
 其の後玄宗皇帝の御宇に月支より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・大日経・金剛頂経・蘇悉地経と申す三経をわたす、此の三人は人がらといゐ・法門といゐ・前前の漢土の人師には対すべくもなき人人なり、而も前になかりし印と真言とを・わたすゆへに仏法は已前には此の国になかりけりと・をぼせしなり、此の人人の云く天台宗は華厳・法相・三論には勝れたり・しかれども此の真言経には及ばずと云云、其の後妙楽大師は天台大師のせめ給はざる法相宗・華厳宗・真言宗をせめ給いて候へども・天台大師のごとく公場にてせめ給はざれば・ただ闇夜のにしきのごとし、法華経になき印と真言と現前なるゆへに皆人一同に真言まさりにて有りしなり。
 像法の中に日本国に仏法わたり所謂欽明天皇の六年なり、欽明より桓武にいたるまで二百余年が間は三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の六宗・弘通せり、真言宗は人王四十四代・元正天皇の御宇にわたる、天台宗は人王第四十五代・聖武天王の御宇にわたる、しかれども・ひろまる事なし、桓武の御代に最澄法師・後には伝教大師とがうす、入唐已前に六宗を習いきわむる上・十五年が間・天台・真言の二宗を山にこもり給いて御覧ありき、入唐已前に天台宗をもつて六宗をせめしかば七大寺皆せめられて最澄の弟子となりぬ、六宗の義やぶれぬ、後延暦廿三年に御入唐・同じき廿四年御帰朝・天台・真言の宗を日本国にひろめたり、但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向つて

この御書の最初のページ前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
衆生身心御書     身延

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

衆生身心御書 1,593ページ

各別なり・決定性と無性の有情は永く仏に成らず」等と云云、此の義は天台宗と水火なり・而も天台大師と章安大師は御入滅なりぬ・其の已下の人人は人非人なり・すでに天台宗破れてみへしなり。
 其の後則天皇后の御世に華厳宗立つ・前に天台大師にせめられし六十巻の華厳経をば・さしをきて後に日照三蔵のわたせる新訳の華厳経八十巻をもつて立てたり、此の宗のせんにいわく華厳経は根本法輪・法華経は枝末法輪等云云、則天皇后は尼にてをはせしが内外典に・こざかしき人なり、慢心たかくして天台宗をさげをぼしてありしなり、法相といゐ・華厳宗といゐ・二重に法華経かくれさせ給う。
 其の後玄宗皇帝の御宇に月支より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・大日経・金剛頂経・蘇悉地経と申す三経をわたす、此の三人は人がらといゐ・法門といゐ・前前の漢土の人師には対すべくもなき人人なり、而も前になかりし印と真言とを・わたすゆへに仏法は已前には此の国になかりけりと・をぼせしなり、此の人人の云く天台宗は華厳・法相・三論には勝れたり・しかれども此の真言経には及ばずと云云、其の後妙楽大師は天台大師のせめ給はざる法相宗・華厳宗・真言宗をせめ給いて候へども・天台大師のごとく公場にてせめ給はざれば・ただ闇夜のにしきのごとし、法華経になき印と真言と現前なるゆへに皆人一同に真言まさりにて有りしなり。
 像法の中に日本国に仏法わたり所謂欽明天皇の六年なり、欽明より桓武にいたるまで二百余年が間は三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の六宗・弘通せり、真言宗は人王四十四代・元正天皇の御宇にわたる、天台宗は人王第四十五代・聖武天王の御宇にわたる、しかれども・ひろまる事なし、桓武の御代に最澄法師・後には伝教大師とがうす、入唐已前に六宗を習いきわむる上・十五年が間・天台・真言の二宗を山にこもり給いて御覧ありき、入唐已前に天台宗をもつて六宗をせめしかば七大寺皆せめられて最澄の弟子となりぬ、六宗の義やぶれぬ、後延暦廿三年に御入唐・同じき廿四年御帰朝・天台・真言の宗を日本国にひろめたり、但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向つて


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション