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衆生身心御書
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とかざるか。
 同代に空海という人あり後には弘法大師とがうす、延暦廿三年に御入唐・大同三年御帰朝・但真言の一宗を習いわたす、此の人の義に云く法華経は尚華厳経に及ばず・何に況や真言にをひてをや。
 伝教大師の御弟子に円仁という人あり・後に慈覚大師とがうす、去ぬる承和五年の御入唐・同十四年に御帰朝・十年が間・真言・天台の二宗をがくす、日本国にて伝教大師・義真・円澄に天台・真言の二宗を習いきわめたる上・漢土にわたりて十年が間・八箇の大徳にあひて真言を習い・宗叡・志遠等に値い給いて天台宗を習う、日本に帰朝して云く天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり倶に深秘なり等云云、宣旨を申して・これにそう。
 其の後円珍と申す人あり後には智証大師とがうす、入唐已前には義真和尚の御弟子なり、日本国にして義真・円澄・円仁等の人人に天台・真言の二宗習いきわめたり、其の上去ぬる仁嘉三年に御入唐・貞観元年に御帰朝・七年が間・天台・真言の二宗を法全・良諝等の人人に習いきわむ、天台・真言の二宗の勝劣は鏡をかけたり、後代に一定あらそひありなん・定むべしと云つて天台・真言の二宗は譬へば人の両の目・鳥の二の翼のごとし、此の外異義を存ぜん人人をば祖師伝教大師にそむく人なり山に住むべからずと宣旨を申しそへて弘通せさせ給いき・されば漢土日本に智者多しといへども此の義をやぶる人はあるべからず、此の義まことならば習う人人は必ず仏にならせ給いぬらん、あがめさせ給う国王等は必ず世安穏にありぬらんとをぼゆ。
 但し予が愚案は人に申せども、御もちゐあるべからざる上・身のあだとなるべし、又きかせ給う弟子檀那も安穏なるべからずと・をもひし上其の義又たがわず、但此の事は一定仏意には叶わでもや・あるらんとをぼへ候、法華経一部・八巻・二十八品には此の経に勝れたる経をはせば此の法華経は十方の仏あつまりて大妄語をあつめさせ給えるなるべし、随つて華厳・涅槃・般若・大日経・深密等の経経を見るに「諸経の中に於て最も其の上に在り」の

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
衆生身心御書     身延

日蓮大聖人御書

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衆生身心御書 1,594ページ

とかざるか。
 同代に空海という人あり後には弘法大師とがうす、延暦廿三年に御入唐・大同三年御帰朝・但真言の一宗を習いわたす、此の人の義に云く法華経は尚華厳経に及ばず・何に況や真言にをひてをや。
 伝教大師の御弟子に円仁という人あり・後に慈覚大師とがうす、去ぬる承和五年の御入唐・同十四年に御帰朝・十年が間・真言・天台の二宗をがくす、日本国にて伝教大師・義真・円澄に天台・真言の二宗を習いきわめたる上・漢土にわたりて十年が間・八箇の大徳にあひて真言を習い・宗叡・志遠等に値い給いて天台宗を習う、日本に帰朝して云く天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり倶に深秘なり等云云、宣旨を申して・これにそう。
 其の後円珍と申す人あり後には智証大師とがうす、入唐已前には義真和尚の御弟子なり、日本国にして義真・円澄・円仁等の人人に天台・真言の二宗習いきわめたり、其の上去ぬる仁嘉三年に御入唐・貞観元年に御帰朝・七年が間・天台・真言の二宗を法全・良諝等の人人に習いきわむ、天台・真言の二宗の勝劣は鏡をかけたり、後代に一定あらそひありなん・定むべしと云つて天台・真言の二宗は譬へば人の両の目・鳥の二の翼のごとし、此の外異義を存ぜん人人をば祖師伝教大師にそむく人なり山に住むべからずと宣旨を申しそへて弘通せさせ給いき・されば漢土日本に智者多しといへども此の義をやぶる人はあるべからず、此の義まことならば習う人人は必ず仏にならせ給いぬらん、あがめさせ給う国王等は必ず世安穏にありぬらんとをぼゆ。
 但し予が愚案は人に申せども、御もちゐあるべからざる上・身のあだとなるべし、又きかせ給う弟子檀那も安穏なるべからずと・をもひし上其の義又たがわず、但此の事は一定仏意には叶わでもや・あるらんとをぼへ候、法華経一部・八巻・二十八品には此の経に勝れたる経をはせば此の法華経は十方の仏あつまりて大妄語をあつめさせ給えるなるべし、随つて華厳・涅槃・般若・大日経・深密等の経経を見るに「諸経の中に於て最も其の上に在り」の


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