御書本文

御講聞書
828ページ

して、隠顕更に無きなり、所詮、等の字はひとしくとよむ時は、釈迦如来の平等の慈悲なり、さて、ひとしきとよむ時は、平等大慧の妙法蓮華経なり、ひとしく法の雨をふらすとは、能弘につけたり、ひとしき法の雨ふりたりと読む時は、所弘の法なり、所詮法と云うは、十界の諸法なり、雨とは十界の言語・音声の振舞なり、ふるとは自在にして地獄は洞燃猛火、乃至仏界の上の所作音声を、等雨法雨とは説けり、此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云、方便品には本末究竟等と云えり、譬喩品には等一大車と云えり、此の等の字を重ねて説かれたり、或は如我等無異と云えり、此の等の字は宝塔品の如是如是と同じなり、所詮等とは南無妙法蓮華経なり、法雨をふらすとは今身より仏身に至るまで持つや否やと云う受持の言語なり云云。
一等雨法雨の事 仰に云く此の時は妙法実相の法雨は十界三千・下は地獄・上は非想非非想まで横に十方・竪に三世に亘つて妙法の功徳をふるを等とは云うなり、さてふるとは一切衆生の色心・妙法蓮華経と三世常住ふるなり云云、一義に云く、此の妙法の雨は九識本法の法体なり、然るに一仏現前して説き出す所の妙法なれば、法の雨をふらすと云うなり、其の故は、ふらすと云うは・上より下へふるを云うなり、仍つて従果向因の義なり、仏に約すれば、第十の仏果より九界へふらす、法体にては・ふる処も・ふらす処も、真如の一理なり識分にては八識へふり下りたるなり、然らば今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を日本国の一切衆生の頂上にふらすを法の雨をふらすと云うなり云云。
一如従飢国来忽遇大王饍の事 仰に云く此の文は中根の四大声聞・法華に来れる事、譬えばうえたる国より

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
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日蓮大聖人御書

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御講聞書 828ページ

して、隠顕更に無きなり、所詮、等の字はひとしくとよむ時は、釈迦如来の平等の慈悲なり、さて、ひとしきとよむ時は、平等大慧の妙法蓮華経なり、ひとしく法の雨をふらすとは、能弘につけたり、ひとしき法の雨ふりたりと読む時は、所弘の法なり、所詮法と云うは、十界の諸法なり、雨とは十界の言語・音声の振舞なり、ふるとは自在にして地獄は洞燃猛火、乃至仏界の上の所作音声を、等雨法雨とは説けり、此の等雨法雨は法体の南無妙法蓮華経なり、今末法に入つて、日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり、此の法雨・地獄の衆生・餓鬼・畜生等に至るまで同時にふりたる法雨なり、日本国の一切衆生の為に付属し給う法雨は題目の五字なり、所謂日蓮建立の御本尊・南無妙法蓮華経是なり云云、方便品には本末究竟等と云えり、譬喩品には等一大車と云えり、此の等の字を重ねて説かれたり、或は如我等無異と云えり、此の等の字は宝塔品の如是如是と同じなり、所詮等とは南無妙法蓮華経なり、法雨をふらすとは今身より仏身に至るまで持つや否やと云う受持の言語なり云云。
一等雨法雨の事 仰に云く此の時は妙法実相の法雨は十界三千・下は地獄・上は非想非非想まで横に十方・竪に三世に亘つて妙法の功徳をふるを等とは云うなり、さてふるとは一切衆生の色心・妙法蓮華経と三世常住ふるなり云云、一義に云く、此の妙法の雨は九識本法の法体なり、然るに一仏現前して説き出す所の妙法なれば、法の雨をふらすと云うなり、其の故は、ふらすと云うは・上より下へふるを云うなり、仍つて従果向因の義なり、仏に約すれば、第十の仏果より九界へふらす、法体にては・ふる処も・ふらす処も、真如の一理なり識分にては八識へふり下りたるなり、然らば今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を日本国の一切衆生の頂上にふらすを法の雨をふらすと云うなり云云。
一如従飢国来忽遇大王饍の事 仰に云く此の文は中根の四大声聞・法華に来れる事、譬えばうえたる国より


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