御書本文

本因妙抄
873ページ

独朗と曰うと云つて理位観行に趣かしめ利益を為し末法の時を待つ者なり、故に天台云く「但当時大利益を獲るのみに非ず後五百歳遠く妙道に霑う」と云云、天台・章安・妙楽・伝教等の大聖は内証は本迹勝劣・外用は本迹一致なり、其の故は教相も観心も相似観行解了の人師・時機亦像法なり、付属は即妄授余人・御身も亦迹化の衆・観音・妙音・文殊・薬王等の化身なり、今末法は本化の薩埵・上行等の出世の境・本門流宣の時尅なり、何ぞ理観を用いて事行を修せざらんや、予が所存は内証・外用共に本迹勝劣なり、若し本迹一致と修行せば本門の付属を失う物怪なり。
本迹の不同は処処に之を書す、然りと雖も宿習拙き者本迹に迷倒せんか若し本迹勝劣を知らずんば未来の悪道最も不便なり宿業を恥じず還つて予を恨む可きか、我が弟子等の中にも天台伝教の解了の理観を出でず、本迹に就て一往勝劣再往一致の謬義を存して自他を迷惑せしめんの条宿習の然らしむる所か、閻浮提第一の秘事為りと雖も万年救護の為に之を記し留る者なり、我が未来に於て予が仏法を破らん為に一切衆生の元品の大石・第六天の魔王・師子身中の蝗蟲と成つて名を日蓮に仮りて本迹一致と云う邪義を申し出して多の衆生を当に悪道に引くべし、若し道心有らん者は彼等の邪師を捨てて宜く予が正義に随うべし、正義とは本迹勝劣の深秘・具騰本種の実理なり、日蓮一期の大事なれば弟子等にも朝な夕なに教え亦一期の所造等悉く此の義なり、然りと雖も迹執を出でず・或は軽見惑或は蔑思惑或は癡塵沙惑或は迷無明惑、故に日蓮が立義を用いざるか、予が教相・観心は理即・名字・愚悪愚見の為なり。
日蓮は名字即の位弟子檀那は理即の位なり、上行所伝結要付属の行儀は教観判乗・皆名字即・五味の主の修行なり、故に教相の次第・要用に依る可し唯大綱を存する時は余は網目を事とせず彼は網目・此れは大綱・彼は網目の教相の主・此れは大綱・首題の主・恐くは日蓮の行儀には天台伝教も及ばず、何に況や他師の行儀に於てをや、

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
本因妙抄 61   身延

日蓮大聖人御書

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本因妙抄 873ページ

独朗と曰うと云つて理位観行に趣かしめ利益を為し末法の時を待つ者なり、故に天台云く「但当時大利益を獲るのみに非ず後五百歳遠く妙道に霑う」と云云、天台・章安・妙楽・伝教等の大聖は内証は本迹勝劣・外用は本迹一致なり、其の故は教相も観心も相似観行解了の人師・時機亦像法なり、付属は即妄授余人・御身も亦迹化の衆・観音・妙音・文殊・薬王等の化身なり、今末法は本化の薩埵・上行等の出世の境・本門流宣の時尅なり、何ぞ理観を用いて事行を修せざらんや、予が所存は内証・外用共に本迹勝劣なり、若し本迹一致と修行せば本門の付属を失う物怪なり。
本迹の不同は処処に之を書す、然りと雖も宿習拙き者本迹に迷倒せんか若し本迹勝劣を知らずんば未来の悪道最も不便なり宿業を恥じず還つて予を恨む可きか、我が弟子等の中にも天台伝教の解了の理観を出でず、本迹に就て一往勝劣再往一致の謬義を存して自他を迷惑せしめんの条宿習の然らしむる所か、閻浮提第一の秘事為りと雖も万年救護の為に之を記し留る者なり、我が未来に於て予が仏法を破らん為に一切衆生の元品の大石・第六天の魔王・師子身中の蝗蟲と成つて名を日蓮に仮りて本迹一致と云う邪義を申し出して多の衆生を当に悪道に引くべし、若し道心有らん者は彼等の邪師を捨てて宜く予が正義に随うべし、正義とは本迹勝劣の深秘・具騰本種の実理なり、日蓮一期の大事なれば弟子等にも朝な夕なに教え亦一期の所造等悉く此の義なり、然りと雖も迹執を出でず・或は軽見惑或は蔑思惑或は癡塵沙惑或は迷無明惑、故に日蓮が立義を用いざるか、予が教相・観心は理即・名字・愚悪愚見の為なり。
日蓮は名字即の位弟子檀那は理即の位なり、上行所伝結要付属の行儀は教観判乗・皆名字即・五味の主の修行なり、故に教相の次第・要用に依る可し唯大綱を存する時は余は網目を事とせず彼は網目・此れは大綱・彼は網目の教相の主・此れは大綱・首題の主・恐くは日蓮の行儀には天台伝教も及ばず、何に況や他師の行儀に於てをや、


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