御書本文
唯在世八箇年の儀式を移して滅後・末法の行儀と為す、然りと雖も仏は熟脱の教主・某は下種の法主なり、彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等・凡夫の為には教相たり、理即・短妄の凡夫の為の観心は余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり、是くの如く深義を知らざる僻人・出来して予が立義は教相辺外と思う可き者なり、此等は皆宿業の拙き修因感果の至極せるなるべし、彼の天台大師には三千人の弟子有りて章安一人朗然なり、伝教大師は三千人の衆徒を置く義真已後は其れ無きが如し、今以て此くの如し数輩の弟子有りと雖も疑心無く正義を伝うる者は希にして一二の小石の如し秘す可きの法門なり。
第六に住教顕観・七に住教非観・八に覆教顕観・九に住教用観・十に住観用教・此の五重は上の五重の如し思惟す可し。
問うて云く本迹雖殊不思議一・本迹の教に於て別して不思議の観理を顕わす故にと云云、機情に約すれば本迹に於て久近の異有る可し、是れ一往の浅義なり、内証に約して之を論ずれば勝劣有る可からず再往の深義は不思議一なり云云如何が意を得可けんや、答えて云く住教顕観は煩悩即菩提・住教非観は法性寂然・覆教顕観は名字判教・住教用観は不思議一・住観用教は以顕妙円と申す大事是なり、教観不思議・天然本性の処に独一法界の妙観を立つ是を不思議の本迹勝劣と云う亦絶対不思議の内証・不可得・言語道断の勝劣は天台・妙楽・伝教の残す所・我が家の秘密・観心直達の勝劣なり、迹と云う名ありといえども有名無実・本無今有の迹門なり、実に不思議の妙法は唯寿量品に限る故に不思議一と釈するなり、迹門の妙法蓮華経の題号は本門に似ると雖も義理・天地を隔つ成仏亦水火の不同なり、久遠名字の妙法蓮華経の朽木書なる故を顕さんが為に一と釈するなり末学疑網を残すこと勿れ、日蓮・霊山会上・多宝塔中に於て親たり釈尊より直授し奉る秘法なり、甚深甚深秘す可し秘す可し伝う可し伝う可し。
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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本因妙抄 | 61 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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本因妙抄 874ページ
唯在世八箇年の儀式を移して滅後・末法の行儀と為す、然りと雖も仏は熟脱の教主・某は下種の法主なり、彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等・凡夫の為には教相たり、理即・短妄の凡夫の為の観心は余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり、是くの如く深義を知らざる僻人・出来して予が立義は教相辺外と思う可き者なり、此等は皆宿業の拙き修因感果の至極せるなるべし、彼の天台大師には三千人の弟子有りて章安一人朗然なり、伝教大師は三千人の衆徒を置く義真已後は其れ無きが如し、今以て此くの如し数輩の弟子有りと雖も疑心無く正義を伝うる者は希にして一二の小石の如し秘す可きの法門なり。
第六に住教顕観・七に住教非観・八に覆教顕観・九に住教用観・十に住観用教・此の五重は上の五重の如し思惟す可し。
問うて云く本迹雖殊不思議一・本迹の教に於て別して不思議の観理を顕わす故にと云云、機情に約すれば本迹に於て久近の異有る可し、是れ一往の浅義なり、内証に約して之を論ずれば勝劣有る可からず再往の深義は不思議一なり云云如何が意を得可けんや、答えて云く住教顕観は煩悩即菩提・住教非観は法性寂然・覆教顕観は名字判教・住教用観は不思議一・住観用教は以顕妙円と申す大事是なり、教観不思議・天然本性の処に独一法界の妙観を立つ是を不思議の本迹勝劣と云う亦絶対不思議の内証・不可得・言語道断の勝劣は天台・妙楽・伝教の残す所・我が家の秘密・観心直達の勝劣なり、迹と云う名ありといえども有名無実・本無今有の迹門なり、実に不思議の妙法は唯寿量品に限る故に不思議一と釈するなり、迹門の妙法蓮華経の題号は本門に似ると雖も義理・天地を隔つ成仏亦水火の不同なり、久遠名字の妙法蓮華経の朽木書なる故を顕さんが為に一と釈するなり末学疑網を残すこと勿れ、日蓮・霊山会上・多宝塔中に於て親たり釈尊より直授し奉る秘法なり、甚深甚深秘す可し秘す可し伝う可し伝う可し。
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