御書本文

本因妙抄
876ページ

直に唱う。
此れ等の深意は迹化の衆・普賢・文殊・観音・薬王等の大菩薩にも付属せざる所の大事なれば知らざる所の秘法なり況や凡師に於てをや。
若し末法に於て本迹一致と修行し所化等に教ゆる者ならば我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち其れに随従せんともがらも阿鼻に沈まん事疑無き者なり、此の書一見の人人は理普賢智文殊一言の薩埵・生死絶断の際・定光覚悟の大菩薩なり、伝教云く「文殊の利剣は六輪に通じ十二の生類を切断す、一刀を下して妙法万方に勅するに自然に由お三諦を出だす見聞覚知に明なり」此の一言の三際を示すに一言に如かず、若し未達の者も一頌を開くに題目三般三諦同じく通知せざること無し、生仏自ら一現なる是を一言の妙旨・一教の玄義と謂う云云、天台の云く「一言三諦・刹那成道・半偈成道」と云云、伝教の云く「仏界の智は九界を境と為し九界の智は仏界を境と為す境智互に冥薫して凡聖常恒なる是を刹那成道と謂う、三道即三徳と解れば諸悪儵に真善なる是を半偈成道と名く」今会釈して云く諸仏菩薩の定光三昧も凡聖一如の証道・刹那半偈の成道も我が家の勝劣修行の南無妙法蓮華経の一言に摂し尽す者なり、此の血脈を列ぬる事は末代浅学の者の予が仮字の消息を蔑如し天台の漢字の止観を見て眼目を迷わし心意を驚動し或は仮字を漢字と成し、或は止観明静・前代未聞の見に耽り本迹一致の思を成す、我が内証の寿量品を知らずして止観に同じ但自見の僻見を本として予が立義を破失して悪道に堕つ可き故に天台三大章疏の奥伝に属す、天台伝教等の秘し給える正義・生死一大事の秘伝を書き顕し奉る事は且は恐れ有り且は憚り有り、広宣流布の日公亭に於て応に之を披覧し奉るべし、会通を加える事は且は広宣流布の為且は末代浅学の為なり又天台伝教の釈等も予が真実の本懐に非ざるか、未来嬰児の弟子等彼を本懐かと思うべきものか。
去る文永の免許の日爾前迹門の謗法を対治し本門の正義を立て被れば不日に豊歳ならむと申せしかば聞く人毎

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
本因妙抄 61   身延

日蓮大聖人御書

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本因妙抄 876ページ

直に唱う。
此れ等の深意は迹化の衆・普賢・文殊・観音・薬王等の大菩薩にも付属せざる所の大事なれば知らざる所の秘法なり況や凡師に於てをや。
若し末法に於て本迹一致と修行し所化等に教ゆる者ならば我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち其れに随従せんともがらも阿鼻に沈まん事疑無き者なり、此の書一見の人人は理普賢智文殊一言の薩埵・生死絶断の際・定光覚悟の大菩薩なり、伝教云く「文殊の利剣は六輪に通じ十二の生類を切断す、一刀を下して妙法万方に勅するに自然に由お三諦を出だす見聞覚知に明なり」此の一言の三際を示すに一言に如かず、若し未達の者も一頌を開くに題目三般三諦同じく通知せざること無し、生仏自ら一現なる是を一言の妙旨・一教の玄義と謂う云云、天台の云く「一言三諦・刹那成道・半偈成道」と云云、伝教の云く「仏界の智は九界を境と為し九界の智は仏界を境と為す境智互に冥薫して凡聖常恒なる是を刹那成道と謂う、三道即三徳と解れば諸悪儵に真善なる是を半偈成道と名く」今会釈して云く諸仏菩薩の定光三昧も凡聖一如の証道・刹那半偈の成道も我が家の勝劣修行の南無妙法蓮華経の一言に摂し尽す者なり、此の血脈を列ぬる事は末代浅学の者の予が仮字の消息を蔑如し天台の漢字の止観を見て眼目を迷わし心意を驚動し或は仮字を漢字と成し、或は止観明静・前代未聞の見に耽り本迹一致の思を成す、我が内証の寿量品を知らずして止観に同じ但自見の僻見を本として予が立義を破失して悪道に堕つ可き故に天台三大章疏の奥伝に属す、天台伝教等の秘し給える正義・生死一大事の秘伝を書き顕し奉る事は且は恐れ有り且は憚り有り、広宣流布の日公亭に於て応に之を披覧し奉るべし、会通を加える事は且は広宣流布の為且は末代浅学の為なり又天台伝教の釈等も予が真実の本懐に非ざるか、未来嬰児の弟子等彼を本懐かと思うべきものか。
去る文永の免許の日爾前迹門の謗法を対治し本門の正義を立て被れば不日に豊歳ならむと申せしかば聞く人毎


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