御書本文
十二月十三日 日 蓮花押
御返事
常忍抄
常 忍 抄 建治三年十月 五十六歳御作
御文粗拝見仕り候い了んぬ。
御状に云く常忍の云く記の九に云く「権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す」云云、了性房云く全く以て其の釈無し云云、記の九に云く寿量品の疏「無有虚出より昔虚為実故に至るまでは為の字去声権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す三乗は皆三界を出でずと云うこと無し人天は三途を出でんが為ならずと云うこと無し並に名けて虚と為す」云云、文句の九に云く「虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し、故に知んぬ昔の虚は実の為去声の故なり」と云云、寿量品に云く「諸の善男子・如来諸の衆生小法を楽う徳薄垢重の者を見て乃至以諸衆生乃至未曾暫廃」云云、此の経の文を承けて、天台・妙楽は釈せしなり、此の経文は初成道の華厳の別円より乃至法華経の迹門十四品を或は小法と云い或は徳薄垢重・或は虚出等と説ける経文なり、若し然らば華厳経の華厳宗・深密経の法相宗・般若経の三論宗・大日経の真言宗・観経の浄土宗・楞伽経の禅宗等の諸経の諸宗は依経の如く其の経を読誦すとも三界を出でず三途を出でざる者なり何に況や或は彼を実と称し或は勝ぐる等云云、此の人人・天に向つて唾を吐き地を〓んで忿を為す者か。
此の法門に於て如来滅後・月氏一千五百余年・付法蔵の二十四人・竜樹・天親等知つて未だ此れを顕さず、漢土一千余年の余人も未だ之を知らず但天台・妙楽等粗之を演ぶ、然りと雖も未だ其の実義を顕さざるか、伝教大師
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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道場神守護事 | 55 | 身延 | |
常忍抄 | 56 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
道場神守護事 常忍抄 980ページ
十二月十三日 日 蓮花押
御返事
常忍抄
常 忍 抄 建治三年十月 五十六歳御作
御文粗拝見仕り候い了んぬ。
御状に云く常忍の云く記の九に云く「権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す」云云、了性房云く全く以て其の釈無し云云、記の九に云く寿量品の疏「無有虚出より昔虚為実故に至るまでは為の字去声権を禀けて界を出づるを名けて虚出と為す三乗は皆三界を出でずと云うこと無し人天は三途を出でんが為ならずと云うこと無し並に名けて虚と為す」云云、文句の九に云く「虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し、故に知んぬ昔の虚は実の為去声の故なり」と云云、寿量品に云く「諸の善男子・如来諸の衆生小法を楽う徳薄垢重の者を見て乃至以諸衆生乃至未曾暫廃」云云、此の経の文を承けて、天台・妙楽は釈せしなり、此の経文は初成道の華厳の別円より乃至法華経の迹門十四品を或は小法と云い或は徳薄垢重・或は虚出等と説ける経文なり、若し然らば華厳経の華厳宗・深密経の法相宗・般若経の三論宗・大日経の真言宗・観経の浄土宗・楞伽経の禅宗等の諸経の諸宗は依経の如く其の経を読誦すとも三界を出でず三途を出でざる者なり何に況や或は彼を実と称し或は勝ぐる等云云、此の人人・天に向つて唾を吐き地を〓んで忿を為す者か。
此の法門に於て如来滅後・月氏一千五百余年・付法蔵の二十四人・竜樹・天親等知つて未だ此れを顕さず、漢土一千余年の余人も未だ之を知らず但天台・妙楽等粗之を演ぶ、然りと雖も未だ其の実義を顕さざるか、伝教大師
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