御書本文
我此の事を弁えず但し付法蔵の第十三天台大師の高祖・竜樹菩薩・妙法の妙の一字を釈して譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し等云云、毒と云うは何物ぞ我等が煩悩・業・苦の三道なり薬とは何物ぞ法身・般若・解脱なり、能く毒を以て薬と為すとは何物ぞ三道を変じて三徳と為すのみ、天台云く妙は不可思議と名づく等云云、又云く一心乃至不可思議境・意此に在り等云云、即身成仏と申すは此れ是なり、近代の華厳・真言等此の義を盗み取りて我が物と為す大偸盗天下の盗人是なり。
問うて云く凡夫の位も此の秘法の心を知るべきや、答う私の答は詮無し竜樹菩薩の大論に云く九十三なり「今漏尽の阿羅漢還つて作仏すと云うは唯仏のみ能く知ろしめす、論議とは正しく其の事を論ず可し測り知ること能わず是の故に戯論すべからず若し仏を求め得る時乃ち能く了知す余人は信ずべく而も未だ知るべからず」等云云、此の釈は爾前の別教の十一品の断無明・円教の四十一品の断無明の大菩薩・普賢・文殊等も未だ法華経の意を知らず何に況や蔵通二教の三乗をや何に況や末代の凡夫をやと云う論文なり、之を以て案ずるに法華経の唯仏与仏・乃能究尽とは爾前の灰身滅智の二乗の煩悩・業・苦の三道を押えて法身・般若・解脱と説くに二乗還つて作仏す菩薩・凡夫も亦是くの如しと釈するなり、故に天台の云く二乗根敗す之を名けて毒と為す今経に記を得る即ち是れ毒を変じて薬と為す、論に云く余経は秘密に非ず法華は是れ秘密なり等云云、妙楽云く論に云くとは大論なりと云云、問う是くの如し之を聞いて何の益有るや、答えて云く始めて法華経を聞くなり、妙楽云く若し三道即是れ三徳と信ぜば尚能く二死の河を渡る況や三界をやと云云、末代の凡夫此の法門を聞かば唯我一人のみ成仏するに非ず父母も又即身成仏せん此れ第一の孝養なり病身為るの故に委細ならず又又申す可し。
建治四年太歳戊寅二月二十八日 日 蓮花押
富木殿
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
---|---|---|---|
始聞仏乗義 | 57 | 富木常忍 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
始聞仏乗義 984ページ
我此の事を弁えず但し付法蔵の第十三天台大師の高祖・竜樹菩薩・妙法の妙の一字を釈して譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し等云云、毒と云うは何物ぞ我等が煩悩・業・苦の三道なり薬とは何物ぞ法身・般若・解脱なり、能く毒を以て薬と為すとは何物ぞ三道を変じて三徳と為すのみ、天台云く妙は不可思議と名づく等云云、又云く一心乃至不可思議境・意此に在り等云云、即身成仏と申すは此れ是なり、近代の華厳・真言等此の義を盗み取りて我が物と為す大偸盗天下の盗人是なり。
問うて云く凡夫の位も此の秘法の心を知るべきや、答う私の答は詮無し竜樹菩薩の大論に云く九十三なり「今漏尽の阿羅漢還つて作仏すと云うは唯仏のみ能く知ろしめす、論議とは正しく其の事を論ず可し測り知ること能わず是の故に戯論すべからず若し仏を求め得る時乃ち能く了知す余人は信ずべく而も未だ知るべからず」等云云、此の釈は爾前の別教の十一品の断無明・円教の四十一品の断無明の大菩薩・普賢・文殊等も未だ法華経の意を知らず何に況や蔵通二教の三乗をや何に況や末代の凡夫をやと云う論文なり、之を以て案ずるに法華経の唯仏与仏・乃能究尽とは爾前の灰身滅智の二乗の煩悩・業・苦の三道を押えて法身・般若・解脱と説くに二乗還つて作仏す菩薩・凡夫も亦是くの如しと釈するなり、故に天台の云く二乗根敗す之を名けて毒と為す今経に記を得る即ち是れ毒を変じて薬と為す、論に云く余経は秘密に非ず法華は是れ秘密なり等云云、妙楽云く論に云くとは大論なりと云云、問う是くの如し之を聞いて何の益有るや、答えて云く始めて法華経を聞くなり、妙楽云く若し三道即是れ三徳と信ぜば尚能く二死の河を渡る況や三界をやと云云、末代の凡夫此の法門を聞かば唯我一人のみ成仏するに非ず父母も又即身成仏せん此れ第一の孝養なり病身為るの故に委細ならず又又申す可し。
建治四年太歳戊寅二月二十八日 日 蓮花押
富木殿
- 自由語検索