御書本文

大学三郎殿御書
1,205ページ

二華厳経・第三法華経・浅きより深きに至る義なり華厳経・法華経に勝るとは南北の二義を取るなり又華厳宗の義なり、南北並びに弘法大師は無量義経・法華経・涅槃経の三経を見ざる愚人なり、仏既に分明に華厳経と無量義経との勝劣之を説く、何ぞ聖言を捨てて南北の凡謬に付かんや、近きを以て遠きを察するに将た又大日経と法華経との勝劣之を知らず、大日経には四十余年の文之無く・又已今当の言之を削る二乗作仏・久遠実成之無し、法華経と大日経との勝劣之を論ぜば民と王と・石と珠との勝劣高下是なり、而るに安然和尚粗之を顕す然りと雖も但だ華厳経と法華経との勝劣は之を明むるに似たれども法華・大日経の勝劣之に闇うして闇と漆との如くなり、慈覚大師は本伝教大師に禀くと雖も本を捨て末に付き入唐の間・真言家の人人に誑惑せらるるの間・又大日経と法華と理同事勝と云云、賢きに似たれども但だ善無畏の僻見を出でざるのみ。
 而るに日蓮末代に居し粗此の義を疑う遠きを尊み近きを賤み死せるを上げ生けるを下す、故に当世の学者等之を用いず、設い堅く三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・十無尽戒等の諸戒を持てる比丘・比丘尼等も愚癡の失に依つて小乗経を大乗経と謂い権大乗経を実大乗経なりと執する等の謬義出来す、大妄語・大殺生・大偸盗等の大逆罪の者なり、愚人は之を知らずして智者と尊む、設い世間の諸戒之を破る者なりとも堅く大小・権実等の経を弁えば世間の破戒は仏法の持戒なり、涅槃経に云く「戒に於て緩なる者を名けて緩と為さず乗に於て緩なる者を乃ち名けて緩と為す」等云云、法華経に云く「是を持戒と名く」等云云、重き故に之を留む、事事霊山を期す、恐恐謹言。
 七月二日 日 蓮花押
 大学三郎殿

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
大学三郎殿御書 54   身延

日蓮大聖人御書

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大学三郎殿御書 1,205ページ

二華厳経・第三法華経・浅きより深きに至る義なり華厳経・法華経に勝るとは南北の二義を取るなり又華厳宗の義なり、南北並びに弘法大師は無量義経・法華経・涅槃経の三経を見ざる愚人なり、仏既に分明に華厳経と無量義経との勝劣之を説く、何ぞ聖言を捨てて南北の凡謬に付かんや、近きを以て遠きを察するに将た又大日経と法華経との勝劣之を知らず、大日経には四十余年の文之無く・又已今当の言之を削る二乗作仏・久遠実成之無し、法華経と大日経との勝劣之を論ぜば民と王と・石と珠との勝劣高下是なり、而るに安然和尚粗之を顕す然りと雖も但だ華厳経と法華経との勝劣は之を明むるに似たれども法華・大日経の勝劣之に闇うして闇と漆との如くなり、慈覚大師は本伝教大師に禀くと雖も本を捨て末に付き入唐の間・真言家の人人に誑惑せらるるの間・又大日経と法華と理同事勝と云云、賢きに似たれども但だ善無畏の僻見を出でざるのみ。
 而るに日蓮末代に居し粗此の義を疑う遠きを尊み近きを賤み死せるを上げ生けるを下す、故に当世の学者等之を用いず、設い堅く三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・十無尽戒等の諸戒を持てる比丘・比丘尼等も愚癡の失に依つて小乗経を大乗経と謂い権大乗経を実大乗経なりと執する等の謬義出来す、大妄語・大殺生・大偸盗等の大逆罪の者なり、愚人は之を知らずして智者と尊む、設い世間の諸戒之を破る者なりとも堅く大小・権実等の経を弁えば世間の破戒は仏法の持戒なり、涅槃経に云く「戒に於て緩なる者を名けて緩と為さず乗に於て緩なる者を乃ち名けて緩と為す」等云云、法華経に云く「是を持戒と名く」等云云、重き故に之を留む、事事霊山を期す、恐恐謹言。
 七月二日 日 蓮花押
 大学三郎殿


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