御書本文
経を毀謗せば○常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」文、慳貪・偸盗等の罪に依つて餓鬼道に堕することは世人知り易し、慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依つて餓鬼道に堕することは智者に非ざれば之を知らず能く能く恐る可きか。
第三に畜生道とは愚癡無慙にして徒に信施の他物を受けて之を償わざる者此の報を受くるなり、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕すべし」文已上三悪道なり。
第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。
第五に人道とは報恩経に云く「三帰五戒は人に生る」文。
第六に天道とは二有り、欲天には十善を持ちて生れ色無色天には下地は麤苦障・上地は静妙離の六行観を以て生ずるなり。
問うて云く六道の生因は是くの如し抑同時に五戒を持ちて人界の生を受くるに何ぞ生盲・聾・瘖瘂・矬陋・〓躃・背傴・貧窮・多病・瞋恚等・無量の差別有りや、答えて云く大論に云く「若は衆生の眼を破り若は衆生の眼を屈り若は正見の眼を破り罪福無しと言わん是の人死して地獄に堕し罪畢つて人と為り生れて従り盲なり、若は復仏塔の中の火珠及び諸の灯明を盗む・是くの如き等の種種の先世の業・因縁をもて眼を失うなり○聾とは是れ先世の因縁・師父の教訓を受けず行ぜず而も反つて瞋恚す是の罪を以ての故に聾となる、復次に衆生の耳を截り若は衆生の耳を破り若は仏塔・僧塔諸の善人・福田の中の犍椎・鈴・貝及び鼓を盗む故に此の罪を得るなり、先世に他の舌を截り或は其の口を塞ぎ或は悪薬を与えて語ることを得ざらしめ、或は師の教・父母の教勅を聞き其の語を断つ○
| タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
|---|---|---|---|
| 十法界明因果抄 | 39 | 鎌倉 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
十法界明因果抄 430ページ
経を毀謗せば○常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く余の悪道に在ること己が舎宅の如し」文、慳貪・偸盗等の罪に依つて餓鬼道に堕することは世人知り易し、慳貪等無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依つて餓鬼道に堕することは智者に非ざれば之を知らず能く能く恐る可きか。
第三に畜生道とは愚癡無慙にして徒に信施の他物を受けて之を償わざる者此の報を受くるなり、法華経に云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕すべし」文已上三悪道なり。
第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。
第五に人道とは報恩経に云く「三帰五戒は人に生る」文。
第六に天道とは二有り、欲天には十善を持ちて生れ色無色天には下地は麤苦障・上地は静妙離の六行観を以て生ずるなり。
問うて云く六道の生因は是くの如し抑同時に五戒を持ちて人界の生を受くるに何ぞ生盲・聾・瘖瘂・矬陋・〓躃・背傴・貧窮・多病・瞋恚等・無量の差別有りや、答えて云く大論に云く「若は衆生の眼を破り若は衆生の眼を屈り若は正見の眼を破り罪福無しと言わん是の人死して地獄に堕し罪畢つて人と為り生れて従り盲なり、若は復仏塔の中の火珠及び諸の灯明を盗む・是くの如き等の種種の先世の業・因縁をもて眼を失うなり○聾とは是れ先世の因縁・師父の教訓を受けず行ぜず而も反つて瞋恚す是の罪を以ての故に聾となる、復次に衆生の耳を截り若は衆生の耳を破り若は仏塔・僧塔諸の善人・福田の中の犍椎・鈴・貝及び鼓を盗む故に此の罪を得るなり、先世に他の舌を截り或は其の口を塞ぎ或は悪薬を与えて語ることを得ざらしめ、或は師の教・父母の教勅を聞き其の語を断つ○
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