御書本文

十法界明因果抄
434ページ

 問うて云く二乗を除くの文如何、答えて云く梵網経に菩薩戒を受くる者を列ねて云く「若し仏戒を受くる者は国王・王子・百官・宰相・比丘・比丘尼・十八梵天・六欲天子・庶民・黄門・婬男・婬女・奴婢・八部・鬼神・金剛神・畜生・乃至変化人にもあれ但法師の語を解するは尽く戒を受得すれば皆第一清浄の者と名く」文、此の中に於て二乗無きなり、方等部の結経たる瓔珞経にも亦二乗無し、問うて云く二乗所持の不殺生戒と菩薩所持の不殺生戒と差別如何、答えて云く所持の戒の名は同じと雖も持する様並に心念永く異るなり、故に戒の功徳も亦浅深あり、問うて云く異なる様如何、答えて云く二乗の不殺生戒は永く六道に還らんと思わず故に化導の心無し亦仏菩薩と成らんと思わず但灰身滅智の思を成すなり、譬えば木を焼き灰と為しての後に一塵も無きが如し故に此の戒をば瓦器に譬う破れて後用うること無きが故なり、菩薩は爾らず饒益有情戒を発して此の戒を持するが故に機を見て五逆十悪を造り同く犯せども此の戒は破れず還つて弥弥戒体を全くす、故に瓔珞経に云く「犯すこと有れども失せず未来際を尽くす」文、故に此の戒をば金銀の器に譬う完くして持する時も破する時も永く失せざるが故なり、問うて云く此の戒を持する人は幾劫を経てか成仏するや、答えて云く瓔珞経に云く「未だ住前に上らざる○若は一劫二劫三劫乃至十劫を経て初住の位の中に入ることを得」文、文の意は凡夫に於て此の戒を持するを信位の菩薩と云う、然りと雖も一劫二劫乃至十劫の間は六道に沈淪し十劫を経て不退の位に入り永く六道の苦を受けざるを不退の菩薩と云う未だ仏に成らず還つて六道に入れども苦無きなり。
 第十に仏界とは菩薩の位に於て四弘誓願を発すを以て戒と為す三僧祇の間六度万行を修し見思・塵沙・無明の三惑を断尽して仏と成る、故に心地観経に云く「三僧企耶大劫の中に具に百千の諸の苦行を修し功徳円満にして法界に遍く十地究竟して三身を証す」文、因位に於て諸の戒を持ち仏果の位に至つて仏身を荘厳す三十二相・八十種好は即ち是の戒の功徳の感ずる所なり、但し仏果の位に至れば戒体失す譬えば華の果と成つて華の形無きが如

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
十法界明因果抄 39   鎌倉

日蓮大聖人御書

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十法界明因果抄 434ページ

 問うて云く二乗を除くの文如何、答えて云く梵網経に菩薩戒を受くる者を列ねて云く「若し仏戒を受くる者は国王・王子・百官・宰相・比丘・比丘尼・十八梵天・六欲天子・庶民・黄門・婬男・婬女・奴婢・八部・鬼神・金剛神・畜生・乃至変化人にもあれ但法師の語を解するは尽く戒を受得すれば皆第一清浄の者と名く」文、此の中に於て二乗無きなり、方等部の結経たる瓔珞経にも亦二乗無し、問うて云く二乗所持の不殺生戒と菩薩所持の不殺生戒と差別如何、答えて云く所持の戒の名は同じと雖も持する様並に心念永く異るなり、故に戒の功徳も亦浅深あり、問うて云く異なる様如何、答えて云く二乗の不殺生戒は永く六道に還らんと思わず故に化導の心無し亦仏菩薩と成らんと思わず但灰身滅智の思を成すなり、譬えば木を焼き灰と為しての後に一塵も無きが如し故に此の戒をば瓦器に譬う破れて後用うること無きが故なり、菩薩は爾らず饒益有情戒を発して此の戒を持するが故に機を見て五逆十悪を造り同く犯せども此の戒は破れず還つて弥弥戒体を全くす、故に瓔珞経に云く「犯すこと有れども失せず未来際を尽くす」文、故に此の戒をば金銀の器に譬う完くして持する時も破する時も永く失せざるが故なり、問うて云く此の戒を持する人は幾劫を経てか成仏するや、答えて云く瓔珞経に云く「未だ住前に上らざる○若は一劫二劫三劫乃至十劫を経て初住の位の中に入ることを得」文、文の意は凡夫に於て此の戒を持するを信位の菩薩と云う、然りと雖も一劫二劫乃至十劫の間は六道に沈淪し十劫を経て不退の位に入り永く六道の苦を受けざるを不退の菩薩と云う未だ仏に成らず還つて六道に入れども苦無きなり。
 第十に仏界とは菩薩の位に於て四弘誓願を発すを以て戒と為す三僧祇の間六度万行を修し見思・塵沙・無明の三惑を断尽して仏と成る、故に心地観経に云く「三僧企耶大劫の中に具に百千の諸の苦行を修し功徳円満にして法界に遍く十地究竟して三身を証す」文、因位に於て諸の戒を持ち仏果の位に至つて仏身を荘厳す三十二相・八十種好は即ち是の戒の功徳の感ずる所なり、但し仏果の位に至れば戒体失す譬えば華の果と成つて華の形無きが如


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