御書本文
に高雄寺に主上・行幸ならせ給いて六宗の碩徳と伝教大師とを召し合はせられて宗の勝劣を聞し食ししに南都の十四人皆口を閉ぢて鼻のごとくす、後に重ねて怠状を捧げたり、其の状に云く「聖徳の弘化より以降た今に二百余年の間・講ずる所の経論其の数多し、彼れ此れ理を争い其の疑未だ解けず而も此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず」等云云、此れをもつて思うに伝教大師已前には法華経の御心いまだ顕れざりけるか、八幡大菩薩の見ず聞かずと御託宣有りけるは指なり指なり白なり白なり。
法華経第四に云く「我が滅度の後に能く竊に一人の為にも法華経を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使なり乃至如来則ち衣を以て之れを覆い給うべし」等云云、当来の弥勒仏は法華経を説き給うべきゆへに釈迦仏は大迦葉尊者を御使として衣を送り給ふ、又伝教大師は仏の御使として法華経を説き給うゆへに八幡大菩薩を使として衣を送り給うか、又此の大菩薩は伝教大師已前には加水の法華経を服してをはしましけれども先生の善根に依つて大王と生れ給いぬ、其の善根の余慶・神と顕れて此の国を守護し給いけるほどに今は先生の福の余慶も尽きぬ、正法の味も失せぬ謗法の者等・国中に充満して年久しけれども日本国の衆生に久く仰がれてなじみせし大科あれども捨てがたく・をぼしめし老人の不孝の子を捨てざるが如くして天のせめに合い給いぬるか、又此の袈裟は法華経最第一と説かん人こそ・かけまいらせ給うべきに伝教大師の後は第一の座主義真和尚・法華最第一の人なれば・かけさせ給う事其の謂あり、第二の座主・円澄大師は伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり・すこし謗法ににたり、此の袈裟の人には有らず、第三の座主・円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども心は弘法大師の弟子・大日経第一・法華経第二の人なり、此の袈裟は一向にかけがたし、設いかけたりとも法華経の行者にはあらず、其の上又当世の天台座主は一向真言の座主なり、又当世の八幡の別当は或は園城寺の長吏或は東寺の末流なり、此れ等は遠くは釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵・近くは伝教大師の讐敵なり、譬へば提
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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諫暁八幡抄 | 59 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
諫暁八幡抄 580ページ
に高雄寺に主上・行幸ならせ給いて六宗の碩徳と伝教大師とを召し合はせられて宗の勝劣を聞し食ししに南都の十四人皆口を閉ぢて鼻のごとくす、後に重ねて怠状を捧げたり、其の状に云く「聖徳の弘化より以降た今に二百余年の間・講ずる所の経論其の数多し、彼れ此れ理を争い其の疑未だ解けず而も此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず」等云云、此れをもつて思うに伝教大師已前には法華経の御心いまだ顕れざりけるか、八幡大菩薩の見ず聞かずと御託宣有りけるは指なり指なり白なり白なり。
法華経第四に云く「我が滅度の後に能く竊に一人の為にも法華経を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使なり乃至如来則ち衣を以て之れを覆い給うべし」等云云、当来の弥勒仏は法華経を説き給うべきゆへに釈迦仏は大迦葉尊者を御使として衣を送り給ふ、又伝教大師は仏の御使として法華経を説き給うゆへに八幡大菩薩を使として衣を送り給うか、又此の大菩薩は伝教大師已前には加水の法華経を服してをはしましけれども先生の善根に依つて大王と生れ給いぬ、其の善根の余慶・神と顕れて此の国を守護し給いけるほどに今は先生の福の余慶も尽きぬ、正法の味も失せぬ謗法の者等・国中に充満して年久しけれども日本国の衆生に久く仰がれてなじみせし大科あれども捨てがたく・をぼしめし老人の不孝の子を捨てざるが如くして天のせめに合い給いぬるか、又此の袈裟は法華経最第一と説かん人こそ・かけまいらせ給うべきに伝教大師の後は第一の座主義真和尚・法華最第一の人なれば・かけさせ給う事其の謂あり、第二の座主・円澄大師は伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり・すこし謗法ににたり、此の袈裟の人には有らず、第三の座主・円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども心は弘法大師の弟子・大日経第一・法華経第二の人なり、此の袈裟は一向にかけがたし、設いかけたりとも法華経の行者にはあらず、其の上又当世の天台座主は一向真言の座主なり、又当世の八幡の別当は或は園城寺の長吏或は東寺の末流なり、此れ等は遠くは釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵・近くは伝教大師の讐敵なり、譬へば提
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