御書本文

諫暁八幡抄 二乗作仏事
589ページ

は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。
 弘安三年太歳庚辰十二月 日 日 蓮 花押

二乗作仏事

 二乗作仏事

 爾前得道の旨たる文、経に云く見諸菩薩等云云、又云く始見我身等、此等の文の如きは菩薩初地初住に叶う事有ると見えたるなり、故に見諸菩薩の文の下には而我等不預斯事と・又始見の文の下には除先修習等云云、此れは爾前に二乗作仏無しと見たる文なり。
 問う顕露定教には二乗作仏を許すや顕露不定教には之を許すか秘密には之を許すか爾前の円には二乗作仏を許すや別教には之を許すか、答う所詮は重重の問答有りと雖も皆之を許さざるなり、所詮は二乗界の作仏を許さずんば菩薩界の作仏も許さざるか衆生無辺誓願度の願の闕くるが故なり、釈は菩薩の得道と見たる経文を消する許りなり、所詮華・方・般若の円の菩薩も初住に登らず又凡夫二乗は勿論なり化一切衆生皆令入仏道の文の下にて此の事は意得可きなり。
 問う円の菩薩に向つては二乗作仏を説くか、答う説かざるなり未曾向人説如此事の釈に明かなり。
 問う華厳経の三無差別の文は十界互具の正証なりや、答う次下の経に云く如来智慧の大薬王樹は唯二所を除き

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
諫暁八幡抄 59   身延
二乗作仏事      

日蓮大聖人御書

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諫暁八幡抄 二乗作仏事 589ページ

は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。
 弘安三年太歳庚辰十二月 日 日 蓮 花押

二乗作仏事

 二乗作仏事

 爾前得道の旨たる文、経に云く見諸菩薩等云云、又云く始見我身等、此等の文の如きは菩薩初地初住に叶う事有ると見えたるなり、故に見諸菩薩の文の下には而我等不預斯事と・又始見の文の下には除先修習等云云、此れは爾前に二乗作仏無しと見たる文なり。
 問う顕露定教には二乗作仏を許すや顕露不定教には之を許すか秘密には之を許すか爾前の円には二乗作仏を許すや別教には之を許すか、答う所詮は重重の問答有りと雖も皆之を許さざるなり、所詮は二乗界の作仏を許さずんば菩薩界の作仏も許さざるか衆生無辺誓願度の願の闕くるが故なり、釈は菩薩の得道と見たる経文を消する許りなり、所詮華・方・般若の円の菩薩も初住に登らず又凡夫二乗は勿論なり化一切衆生皆令入仏道の文の下にて此の事は意得可きなり。
 問う円の菩薩に向つては二乗作仏を説くか、答う説かざるなり未曾向人説如此事の釈に明かなり。
 問う華厳経の三無差別の文は十界互具の正証なりや、答う次下の経に云く如来智慧の大薬王樹は唯二所を除き


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