御書本文

下山御消息
347ページ

らむとて雲先おこるが如し、日出雨下て後の星雲はなにかせん而るに今は時過ぬ又末法に入りて之を修行せば重病に軽薬を授け大石を小船に載するが如し修行せば身は苦く暇は入りて験なく華のみ開きて菓なからん、故に教大師・像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内・其の中・円頓の戒壇を叡山に建立し給いし時二百五十戒忽に捨て畢んぬ、随つて又鑑真の末の南都七大寺の一十四人・三百余人も加判して大乗の人となり一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ、其の授戒の書を見る可し分明なり。
 而るを今邪智の持斎の法師等昔し捨てし小乗経を取り出して一戒もたもたぬ名計りなる二百五十戒の法師原有つて公家武家を誑惑して国師とののしる剰我慢を発して大乗戒の人を破戒無戒とあなづる、例せば狗犬が師子を吠え猿猴が帝釈をあなづるが如し、今の律宗の法師原は世間の人人には持戒実語の者の様には見ゆれども其の実を論ぜば天下第一の大不実の者なり、其の故は彼等が本文とする四分律・十誦律等の文は大小乗の中には一向小乗・小乗の中にも最下の小律なり、在世には十二年の後・方等大乗へうつる程の且くのやすめ言滅後には正法の前の五百年は一向小乗の寺なり此れ亦・一向大乗の寺の毀謗となさんがためなり、されば日本国には像法半に鑑真和尚大乗の手習とし給う教大師・彼の宗を破し給いて人をば天台宗へとりこし宗をば失うべしといへども後に事の由を知らしめんがために我が大乗の弟子を遣してたすけをき給う、而るに今の学者等は此の由を知らずして六宗は本より破れずして有りとおもへり墓無し墓無し、又一類の者等天台の才学を以て見れば我が律宗は幼弱なる故に漸漸に梵網経へうつり結句は法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還つて円頓の行者を破戒無戒と咲へば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給いて天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪い取つて彼等にあたへ万民は又一向大乗の寺の帰依を抛ちて彼の寺にうつる、手づから火をつけざれども日本一国の大乗の寺を焼き失い抜目鳥にあらざれども一切衆生の眼を抜きぬ仏の記し給ふ阿羅漢に似たる闡提是なり、涅槃経に云く「我

この御書の最初のページ前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
下山御消息 56 下山兵庫光基 身延

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

下山御消息 347ページ

らむとて雲先おこるが如し、日出雨下て後の星雲はなにかせん而るに今は時過ぬ又末法に入りて之を修行せば重病に軽薬を授け大石を小船に載するが如し修行せば身は苦く暇は入りて験なく華のみ開きて菓なからん、故に教大師・像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内・其の中・円頓の戒壇を叡山に建立し給いし時二百五十戒忽に捨て畢んぬ、随つて又鑑真の末の南都七大寺の一十四人・三百余人も加判して大乗の人となり一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ、其の授戒の書を見る可し分明なり。
 而るを今邪智の持斎の法師等昔し捨てし小乗経を取り出して一戒もたもたぬ名計りなる二百五十戒の法師原有つて公家武家を誑惑して国師とののしる剰我慢を発して大乗戒の人を破戒無戒とあなづる、例せば狗犬が師子を吠え猿猴が帝釈をあなづるが如し、今の律宗の法師原は世間の人人には持戒実語の者の様には見ゆれども其の実を論ぜば天下第一の大不実の者なり、其の故は彼等が本文とする四分律・十誦律等の文は大小乗の中には一向小乗・小乗の中にも最下の小律なり、在世には十二年の後・方等大乗へうつる程の且くのやすめ言滅後には正法の前の五百年は一向小乗の寺なり此れ亦・一向大乗の寺の毀謗となさんがためなり、されば日本国には像法半に鑑真和尚大乗の手習とし給う教大師・彼の宗を破し給いて人をば天台宗へとりこし宗をば失うべしといへども後に事の由を知らしめんがために我が大乗の弟子を遣してたすけをき給う、而るに今の学者等は此の由を知らずして六宗は本より破れずして有りとおもへり墓無し墓無し、又一類の者等天台の才学を以て見れば我が律宗は幼弱なる故に漸漸に梵網経へうつり結句は法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還つて円頓の行者を破戒無戒と咲へば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給いて天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪い取つて彼等にあたへ万民は又一向大乗の寺の帰依を抛ちて彼の寺にうつる、手づから火をつけざれども日本一国の大乗の寺を焼き失い抜目鳥にあらざれども一切衆生の眼を抜きぬ仏の記し給ふ阿羅漢に似たる闡提是なり、涅槃経に云く「我


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション