御書本文

十法界明因果抄
432ページ

獄の中に処して常に自在なり禁戒を毀り悪道に生ずと雖も戒の勝るるに由るが故に王と為る事を得○若し如来の戒を受けざる事有れば終に野干の身をも得ること能わず何に況んや能く人天の中の最勝の快楽を感じて王位に居せん」文、安然和尚の広釈に云く「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る而も戒の失せざること譬えば金銀を器と成すに用ゆるに貴く器を破りて用いざるも而も宝は失せざるが如し」亦云く「無量寿観に云く劫初より已来八万の王有つて其の父を殺害すと此則ち菩薩戒を受けて国王と作ると雖も今殺の戒を犯して皆地獄に堕れども犯戒の力も王と作るなり」大仏頂経に云く「発心の菩薩罪を犯せども暫く天神地祇と作る」と、大随求に云く「天帝命尽きて忽ち驢の腹に入れども随求の力に由つて還つて天上に生ず」と、尊勝に云く「善住天子・死後七返畜生の身に堕すべきを尊勝の力に由つて還つて天の報を得たり」と、昔国王有り千車をもて水を運び仏塔の焼くるを救う自ら憍心を起して阿修羅王と作る、昔梁の武帝五百の袈裟を須弥山の五百の羅漢に施す、誌公云く「往五百に施すに一りの衆を欠けり罪を犯して暫く人王と作る即ち武帝是なり、昔国王有つて民を治むること等からず今天王と作れども大鬼王と為る、即ち東南西の三天王是なり拘留孫の末に菩薩と成りて発誓し現に北方毘沙門と作る是なり」云云、此等の文を以て之を思うに小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。
 第七に声聞道とは此の界の因果をば阿含小乗十二年の経に分明に之を明せり、諸大乗経に於ても大に対せんが為に亦之をば明せり、声聞に於て四種有り一には優婆塞・俗男なり五戒を持し苦・空・無常・無我の観を修し自調自度の心強くして敢て化他の意無く見思を断尽して阿羅漢と成る此くの如くする時・自然に髪を剃るに自ら落つ、二には優婆夷・俗女なり五戒を持し髪を剃るに自ら落つること男の如し・三には比丘僧なり二百五十戒具足戒なりを持して苦・空・無常・無我の観を修し見思を断じて阿羅漢と成る此くの如くするの時・髪を剃らざれども生ぜず、

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
十法界明因果抄 39   鎌倉

日蓮大聖人御書

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十法界明因果抄 432ページ

獄の中に処して常に自在なり禁戒を毀り悪道に生ずと雖も戒の勝るるに由るが故に王と為る事を得○若し如来の戒を受けざる事有れば終に野干の身をも得ること能わず何に況んや能く人天の中の最勝の快楽を感じて王位に居せん」文、安然和尚の広釈に云く「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る而も戒の失せざること譬えば金銀を器と成すに用ゆるに貴く器を破りて用いざるも而も宝は失せざるが如し」亦云く「無量寿観に云く劫初より已来八万の王有つて其の父を殺害すと此則ち菩薩戒を受けて国王と作ると雖も今殺の戒を犯して皆地獄に堕れども犯戒の力も王と作るなり」大仏頂経に云く「発心の菩薩罪を犯せども暫く天神地祇と作る」と、大随求に云く「天帝命尽きて忽ち驢の腹に入れども随求の力に由つて還つて天上に生ず」と、尊勝に云く「善住天子・死後七返畜生の身に堕すべきを尊勝の力に由つて還つて天の報を得たり」と、昔国王有り千車をもて水を運び仏塔の焼くるを救う自ら憍心を起して阿修羅王と作る、昔梁の武帝五百の袈裟を須弥山の五百の羅漢に施す、誌公云く「往五百に施すに一りの衆を欠けり罪を犯して暫く人王と作る即ち武帝是なり、昔国王有つて民を治むること等からず今天王と作れども大鬼王と為る、即ち東南西の三天王是なり拘留孫の末に菩薩と成りて発誓し現に北方毘沙門と作る是なり」云云、此等の文を以て之を思うに小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。
 第七に声聞道とは此の界の因果をば阿含小乗十二年の経に分明に之を明せり、諸大乗経に於ても大に対せんが為に亦之をば明せり、声聞に於て四種有り一には優婆塞・俗男なり五戒を持し苦・空・無常・無我の観を修し自調自度の心強くして敢て化他の意無く見思を断尽して阿羅漢と成る此くの如くする時・自然に髪を剃るに自ら落つ、二には優婆夷・俗女なり五戒を持し髪を剃るに自ら落つること男の如し・三には比丘僧なり二百五十戒具足戒なりを持して苦・空・無常・無我の観を修し見思を断じて阿羅漢と成る此くの如くするの時・髪を剃らざれども生ぜず、


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